※内容はあくまでも個人の主観です。
GoToキャンペーンもそうですが
夏休みやお盆の帰省に関連してPCR検査を受ける人が急増しています。
これは本当に短絡的でめちゃくちゃ単純な思考で
要は自分が陰性であることを確認する事で
旅行や帰省を正当化するための免罪符を手に入れようとする思想、
「私は大丈夫のお墨付きをもらっているから大丈夫」
といった、自分の行動を正当化するための証明書を得るための行動です。
はっきりききますが、
PCR検査はいつから100%判断できる材料になったんですか?
平均して50%程度の精度しかない検査で証明の意味を成しますか?
で、そもそも現在の陰性を証明できたとして何の意味があるんですか?
また、
様々な社会状況において感染経路や感染原因の特定が困難で
感染者情報でもどういった経緯で感染したかもわからないのに
自分が陰性であることを証明したからといって
県外に移動したりといった行動そのものに安心が生まれるのですか?
いろいろな事がわからないから軽はずみな判断や行動を控えるしかないのに
結局はこの行動によって自分の行動の正当性ばかりを求め
まわりや状況に対して配慮できない思考が垣間見えています。
我慢や自粛に対して積極性がもてない感覚があるから
そんな安易な免罪符的発想に結びつくのであって、
では、
PCR陰性結果をもらったらわずかな移動中に絶対感染しないの?
とかそういった発想は何故出てこない?
PCR検査を受ける事で無駄に意識高く感じるのでしょうが
そもそも検査結果自体が偽陰性であった際に
望まずして移動先で感染を拡大させてしまうリスクなど、
すでに選ぼうとする選択先そのものが自己満足なのだと
何故これほどに自己に対して皆あまいんだろう?
だいたい、
PCR検査の陰性証明(笑)をもらって行動しても
そこには何の補償も何の責任転嫁先もなく
ただただ自分が行動する上で自分が満足する形だけのもの。
あなたは今この時点では50%の確立で陰性ですよー
このあとどうなるかはだれにもわかりませんよー
っていうことだとほんの少し考えればわかるはずが
自分のやりたい行動のためにそこは考えない。
自分の考えを正当化するために考えようともしない。
100%精度で潜伏関係なく即時検出ぐらいの検査ならば
手洗いやうがいぐらいの手軽さと頻度で
移動するたびに要所要所で検査を受けることができれば
検査自体に多少の意味もあるでしょうが
行動前だけの50%検査の陰性には何も意味がないことぐらい
まともな仕事のできる大人ならわかるようなものです。
PCR検査に対しても世の中の意識や捉え方がゆがんでいて
どこもかしこも歪な世の中になってきていることを
心の底から悲しく思います。
杉本