杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

心理実験

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

 

連日、社会批判を中心としてブログを書いてしまっています。

もう少し直接的な表現ではなく考察的に書き

理解の幅を限定的にしていきたいと考える今日この頃です。

 

 

 

さて、

歴史上における心理実験にはとんでもないものがたくさんあります。

 

人として、倫理的に問題のあるものがたくさんありますが

その研究においてのテーマや内容、結果には非常に多くの

人として向き合ってきちんと考えなければいけないものがあります。

 

今の社会における人の考えや状況、成り立ちに関連して

少し気になる実験を思い出しましたので紹介します。

 

人間の本質に迫る為の実験は、ともに被験者の苦痛と時には犠牲を伴います。

実際に起こる被害が中心となってその結果に結びつくものが多く

やはりそれは人道的、倫理の観点からも

けして肯定できるものではないものがほとんどです。

 

今回思い出した実験では、

様々な規模においての人間の心理行動への影響について

とても重要な結果をもたらしています。

 

※記事内では実験概要のみ紹介していますので

 詳細な実験内容を必ずリンクからしっかり読むようにしてください。

 

まずひとつめ。

スタンフォード監獄実験」 wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93

1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー (Philip Zimbardo) の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。

新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた心身ともに健康な21人の被験者の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるということが証明された、とジンバルドーは主張した。

 

結果や考察については様々な意見もあり、

演技や綿密な指示が含まれていた指摘など

実験結果への信憑性においての疑問視もあります。

しかし、与えられた環境においての被験者の行動は、

環境における精神状態の変化に対するイメージに基づいた行動も取っており

そういった思考状況下での行動を観察するには十分な結果だったのではないかと

私は知りえる範囲の情報ではそう判断しています。

 

実験結果としては

「人は性格に関係なく強い権力や立場を得ることで理性が暴走する」

または環境によってそのように変化をしていくことが

実験の準備、内容、結果の経緯から見ることができていると思います。

 

 

ふたつめ。

ミルグラム実験」  wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93

アメリカ、イェール大学の心理学者、スタンリー・ミルグラム(Stanley Milgram)が1963年にアメリカの社会心理学会誌『Journal of Abnormal and Social Psychology』に投稿した、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。

東欧地域の数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡して「リカルド・クレメント」の偽名を名乗り、自動車工場の主任としてひっそり暮らしていた。彼を追跡するイスラエル諜報機関がクレメントは大物戦犯のアイヒマンであると判断した直接の証拠は、クレメントが妻との結婚記念日に花屋で彼女に贈る花束を購入したことであった。その日付はアイヒマン夫婦の結婚記念日と一致した。またイスラエルにおけるアイヒマン裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む一介の平凡で小心な公務員の姿だった。

このことから「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。この実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言う。

実験の結果は、普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するもので、そのような現象を「ミルグラム効果」とも言う。

実験から約50年後の2015年、オーストラリアの制作会社が、シドニーで役者を用いてこの実験を再現した番組を発表した。

 

ミルグラム実験では、

状況に関係なく強い権威を持つものに人は逆らえないといった

人間の心理とその変化などを実験したものです。

理性や倫理性に対して強い権威とどちらを選べるのかといった点や、

強く残虐な行為を強要される際の責任の所在に対する精神性など

実社会における様々な状況に応用できうる実験内容になっています。

 

個人的にミルグラム実験で面白いと感じる点では、

実験前のアンケートでは結果に対して倫理観が強く働いた

常識的で理性的な回答である事に対し、

実際の実験の状況や内容、結果では事前のアンケートとは

完全に反する結果となったことです。

 

これは実社会においての様々な状況下における人の心理状況を

明確にあらわしたもので、

人は実際に自分自身がその状況を実感(体感)できないうちは

非常に倫理的、理性的な思考によって発言や行動をとりますが

そこには実際の行動における責任の所在が皆無である事が前提です。

要は関係のない第三者である事によって理性が働くということです。

同時に責任を負わない、状況に関わらない状況では

当事者の状況にはそぐわない平和的な主観が思考を占める

ということにもつながります。

 

多くの人は実際に自分が当事者となったときには

必ずしも倫理的、理性的な行動を取るとは限らないといった事と

強い権威によって強要される行為にはその相関はすべて

「責任の所在」に左右される事、そして自己に責任がないと確定した場合

たとえ強要による残虐的な行為や、倫理、理性に反するものに対しても

自己の責任における比率がとても強い影響を与えている事がわかります。

 

 

 

 

実際にはこのふたつの実験は非常に極端です。

 

しかしながら規模や状況を違うものと当てはめる事で

人間の社会生活における様々なものとの共通点が見えます。

現在のコロナによる社会状況が、より実験に近い環境を生み出し

それによって様々な人々の心理状況に変化が現れています。

(なお私は「コロナ禍」という言葉が大嫌いなので基本的に使いません。)

 

 

ここにきて私自身、生活、仕事、人間関係において

本当に価値観がかけ離れていると感じることが多く

色々な行動について悩むしかない日々が訪れています。

答えは出ませんが、このまま納得できない我慢を続ける事が

限界に近いかもしれません。

 

価値観の違いから家族以外の誰にも相談できず

愚痴をブログに書いている状態です。

 

 

杉本