杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

「自粛」の正しい意味は?

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

自粛とは。。。

「自粛」(読み)ジシュク
〘名〙 自分から進んで行ないや態度をつつしむこと。

 

 

(注)ふだんよりもさらにめっちゃ長いです。笑

 

 

 

緊急事態宣言の延長が決まりました。

GWも最終日をむかえる人が多いことと思います。

 

様々な報道を見る中で、

「自粛」という言葉がすごく独り歩きを始めているような

そもそも「自粛」の意味を完全に履き違えているとしか思えない

そんなニュースも増えてきたことを感じています。

 

私は大きく分けるなら世間で言う「自粛派」だと思います。

ただ、「自粛」に関しては自分に課するものとして考えていましたので、

最近の風潮にはかなりの違和感を感じています。

 

「自粛警察」なる自警団を自惚れた行動する人々が現れたり

「自粛」を強制する行動をする人が現れたり

他県ナンバーの車を攻撃する人が現れたり

「自粛」という言葉のために「自粛」をする人

様々な方法で「自粛」しない人に攻撃する人

など

私の思う「自粛」とは違ってしまっているのが今の社会です。

「自粛」はそもそも強制するものではありませんし

守るべくなにかしらの基準を決めるものでもありません。

ただただ今の世の中の状況に対して

自分の行動は”いま”本当に必要なのか?

ということを「自粛」という言葉とともに

ひとりひとりが一度ちゃんと考える必要がある

そういった状況だということです。

 

ちなみに「自粛」反対派、否定派の似たような言動や

似たような行動もあります(笑)

 

 

過去の記事で指摘したように、

あきらかに今必要か不必要かを一切配慮しない人や

どう考えてもわざと「自粛」に反対したり逆行する人や

必要ではない行動をあからさまにしている人は

批判の対象になってしまうことは仕方無いと思います。

ただ、それぞれに生活や環境がある中で

その「自粛」の方法や限界は当人でなければわかりません。

 

確かに私は、自分に関係する家族や

接触のある不特定多数に対して、自分を中心にして

自分の「自粛」行動を見せる事となりますので

その考えや方向性はきっちりと説明します。

 

特に、一応とはいえ私は会社を経営し従業員もいるという

責任のある立場なので、「自粛」という言葉の意味に対して

自分の状況をきちんと考え行動し発言をしてきました。

 

参考までに、私の取り組んだ「自粛」行動と判断は

まず第一に考えたのは

コロナウイルス感染拡大防止への社会的な呼びかけを優先して

必要最低限の現場仕事を圧縮する事です。

自社の営業内容として、対面での商品販売が会社全体の約50%なので

自分自身の事と同時に就業する社員の行動を縮小することで

自社と自分自身、社員による接触者数を限界まで抑えることが

何処まで可能なのかを考えました。

 

また、対面での販売に伴って

当社商品のリピート利用をしてくださっているお客様が

当社が現場を開催する事によって、

わざわざご来場して頂ける状況になるため

来場に伴う公共交通機関での移動など

当初から言われていた感染リスクに関しての部分も考慮し

商品発送などで商品を提供する事で

お客様の不要な外出などをも抑えて頂けると考えました。

また、当社の独自判断にご理解を求める状況において

ご理解いただけるお客様に少しでもメリットをと思い

期間限定ではありますが配送時の送料の無料化を行いました。

 

そして自分自身においては、

出社に関しては基本的に公共交通機関を利用しないことと

直接お客様などを含めた当社への来客の頻度もほぼ無いため

配送業務を中心として営業が継続できるので

配送業務は基本的に無休であったものを、

期間限定で土曜日曜を新たに定休に設定し

不要不急の外出機会を自社の営業上で減少させました。

 

あとは、自分自身の状況において

今必要か?どうしても行うべきか?を考え、

娯楽や自己満足に該当する部分である

お酒を飲みいく、外食を控える、

緊急的にいま必要でないものの買物に行かない

趣味の集まりに出かけない 等です。

とにかく、今こんな世の中の状況でどうしても必要か?

を考えています。

 

そういった考えや具体的な行動というものは

人によってそれぞれ違いますので、

私と全く同じように取り組む必要もなければ

その価値観も違っていると思いますので

それぞれがそれぞれの考えで良いと思います。

 

とはいえ私のブログを見た人によっては

「いやいや、自粛しない人を批判してたでしょ」

と感じる方もいるのではないかと思います。

 

確かに、過去のブログ内で「自粛」について

買い物客や日常の行動において「自粛」の意識が薄弱な行動など

批判してきました。

ただ、

これについてはちゃんと読み返していただければわかることですが

「自粛」を前提とした行動を取る人と

そもそも「自粛」という言葉の意味にすら該当しない

全く平時と変わらず無頓着に行動する人では

全然違いがあるということを指摘してきました。

 

私は、買い物に出ている人すべてを批判しているのではなく

平時の如く振舞う人、今必要のない行動を取る人を批判してきましたし、

仕事をしている人を否定しているのではなく

その方法や内容について工夫や変化を加える事も無く

平時と同じように行動する、「自粛」を意識しない人について

前提として考えるべきであるのではないかと言ってきたものです。

 

人間が生きていくうえで最低限必要な行動というものは限られていて

今の社会においてそれらに付随した利便性などが飽和通例化してしまい

感覚的な「当たり前」が蔓延していた結果、

社会的な状況を配慮せず、さらにはまわりに「当たり前」を求める行動が

あまりにも多い事に対して苦言を呈してきました。

 

例えば、

平時では当たり前に買えていたものが買えない事

買えないなどの状況に不満をあらわにする

平時で受けれていた当たり前のサービスが受けれない事に不満を出す

緊急的に必要でもない娯楽などに対して我慢ができない

などです。

さらにはその不満などに伴って、場合によっては

サービス提供従事者に対して理不尽な攻撃をする状況まであります。

 

 

そもそも「自粛」の意味とは、

私自身でどの辞書を引いても以下のような同じ言葉で説明されています。

 

「自粛」(読み)ジシュク
〘名〙 自分から進んで行ないや態度をつつしむこと。

 

そしてこれについて「自重」「自制」と共に

非常にわかりやすく説明したサイトがありました。

「自重」「自粛」「自制」の意味の違いと使い分け

https://eigobu.jp/magazine/jichou

ここから本文を少し引用します。

「自粛」は何らかの問題を起こして、それに対して自分の意思というよりは世間の目・他者からの評価を気にして、行うはずだったことを取りやめたりする、といった場合に使います。
よく問題を起こした芸能人が「無期限に活動を自粛する」と発言しますが、これは「一生芸能活動をしません」という意味ではなく、「期限を決めないで、自ら芸能活動をしないことを決定した」という意味です。

「自粛」は誰かに活動しないように制限されているわけではなく、自ら決めたということになります。
「自粛」は「他者からの評価を気にして、自ら行いを控えること」、
「自重」は「自分自身が問題を起こさないように、慎重な振る舞いをすること」を表します。

 

小池都知事が緊急事態宣言延長が決定した決定後の会見で、

記者の質問に対し

記者:なぜ緊急事態宣言の期間が延長されることになったと考えているか。

都知事:皆さん一人一人の行動の結果だ。残念ながら理解いただけない方々、「僕だけはいいや」と思っている人たちがいることで長引いてしまう。

都知事の言は少し極端な表現ではありますが

会見という限られた時間の中では

飾りの無い的確な回答だったと思います。

 

現状としてウイルスの感染拡大と感染状況が

ほんとうにそういった行動が原因であるかどうかはわかりません。

しかし、原因でないということもわかりませんので

ウイルスの特性などを前提にすれば、

法律や社会の状況などを再三考慮して考えてみると

今選択できる方法が「自粛」という結論に達していて

正しいのか間違っているのかがわからない中で

とりあえずでもこの方法で同じ方法をむきませんか?

というのが最初の「自粛」を言い出した状況なんだとおもいます。

 

「自粛」という言葉の意味を私なりにいろいろ調べて解釈してみましたが、

すべての原点はやはり

「自分から進んで行ないや態度をつつしむこと」

という言葉に集約されていると私は思っています。

 

現実にコロナウイルスという問題がその本来の姿が不明のまま

全ての人の実生活上の問題として現れてしまい、

なにもわからない状況ながらも最善が「自粛」だと

多くの国民、多くの人々が判断する結果となり、

そのために「自粛」を呼びかける声が多数を占めた。

 

そういった状況ですので、「自粛」というのは

”皆で問題解決するために今は同時に協力する為に可能な配慮をしましょう”

と言うものだと私は捉えています。

 

その具体的な内容も考えてみれば、

買い物を最低限の人数で最短の時間で済ませる

不必要に人と集まる事を避ける

不要不急の外出と人の接触をできる限り避ける

たったこれだけです。

 

日常生活での人との交流や

仕事上での人同士の接触を可能な限り縮小して

絶対に必要な内容でなければできる限りいまは控える。

たったそれだけです。

 

「自粛」の本当の意味を正しく考えてみれば

いつもの日常に対して、コロナのことや社会の状況を考え

すこしずつでいいので考えてそれぞれでつつしみましょう

と、たったそれだけのことです。

 

ちなみにこの「つつしむ」は「慎む」です。

「慎む」の意味は
”振舞の上の過ちをしないように気をつける”

「言葉を―」。乱れないように控えめにする

 

「自粛」はこの「慎む」を含んでいますが、

「自粛」の意味ではさらに多岐にわたる意味合いが含まれている

そのように私は解釈しています。

 

また「慎む」を使う例として

授業中は私語を慎みなさい。

健康のために偏食を慎む。

体のためにお酒や喫煙を慎む。

和を乱さないように自分本位な行動は慎む。

といったものがあります。

 

 

政府の対応や要請などは切り分けて考えた場合、

コロナウイルスに対しての社会の反応や対応はまさに

自分で考えて自分で行動することに重点がおかれています。

 

一人一人がどのように考えてどのように行動するかは

それぞれの裁量と判断、理解に委ねられました。

必要な情報が限られている中で判断する事は

非常に難しいことです。

 

しかし、

社会の状況や国民の大部分がどのように考えているか

世の中の仕組みとしてどういった事を考えることが必要なのか

そういった判断基準は十二分にあると思います。

 

 

今一人歩きしている「自粛」の言葉は

強制的に何が何でも自宅にいることや

何が何でも休業する事かのように扱われています。

 

この部分の解釈については本当に

「人による」としか言いようがありません。

 

私個人の考えとして今の状況とよく似たものに

「言葉の使い方」があります。

 

例えば、何かで「人」を注意する場合に

「おいお前!こういう風に決まってるんだからやれ!」

と言ってしまうと

人はやはり反抗心が芽生えてしまいます。

たとえ正しい事であっても頭ごなしに言ってしまえば

きいてもらえるものもきいてもらえなくなったり

時にはその決まりの意味をなくしてしまうものもあります。

 

ほんの少し

「ここでは一応決まりなので、申し訳ないけどこうしてもらえますか」

と変えるだけで、言われた人の捉え方は大きく変わります。

そしてその決まりの意味を考えるゆとりも生まれる事があります。

 

全く同じ事をしてもらうだけのことでも

言い方一つで全く違う結果になる事があります。

 

まず基本としてはこの部分を

どのように言う言われるということではなくて

こういった言い方一つで状況が変わるという背景を

想像できるかどうかの点が判断に影響すると思います。

 

その背景が想像できるのであれば

おそらくは今回の「自粛」に対してもそれなりに

余裕のある捉え方をして、自分なりの工夫をする事で

気分を害する言われ方をしたりといった

不必要な圧力を回避できる発想ができると思います。

 

とはいっても、

世の中にはある一定数どうしても

人に決められた事や

皆と同じ方向を自分の意思に関係なくむけられることを

その内容や理由などを全く考えず

自分の行動を制限されてると勘違いし

条件反射的に嫌がる人がいます。

 

それぞれにそれぞれの考えや発想があるとはいえ

まわりに配慮しない自我行動そのものは

時として多くの人に迷惑と不快感を与えます。

 

そういった積み重ねの結果が

過剰に「自粛」を促す人をどんどん増長させ

目的を失わせてしまっている結果になっているのだと

私はとても感じています。

 

強制ではないからとか違法ではないからとか

「自粛」の意味を都合よく引用して

今絶対に必要ではない行動を正当化しようとする人が

「自粛」する人々の反対側で目立ってしまっていますが

本当の「自粛」の意味は「慎む」ことであるので

遊びに行ったりといった娯楽や

生活を維持する為に絶対に必要ではない内容の行動をとることは

「慎めていない」にあたると思います。

 

買い物に出るのを最少の人数で最低限にする

帰省や旅行など

長距離を不特定多数との接触機会を持ち移動することを控える

仕事の継続と業務の移動は最小にして

必要な場合はその内容での人との接触に最大限留意する。

人が集まる場所、人が集まる事を可能な限り避ける。

遊興、娯楽に該当する要素、パチンコなども同様に

趣味、レジャー、スポーツ、外食、会食、飲み会、催しなど

については事態の変化を見るまでできるだけ我慢する。

 

理不尽かもしれませんが世の中の批判を受けてまで

今の社会の流れを見て、逆らって強行する必要って

そんなにありますか……?

我慢できない要素って、

後々の風評被害や営業上のマイナス点を考えて

それほどのものなんですかね……

 

私個人では

仕事に関しての部分は営業形態によってはそれぞれなので

業務内容や生活維持に関しては他の人の事はいいませんが

それ以外の私生活で上記の内容を2~3ヶ月我慢しても

我慢の目的も理由もはっきりしているので

やるだけやってもそんなに支障ないんですが……

 

結果や効果はともかくとして

単純に今の世の中の流れとしては

とりあえずできるだけ人に会わないように

可能な範囲で各々が行動の中で気をつけ配慮する

って部分が「自粛」の本来の目的だと思うんですよね。

 

これは政府の方針とか社会の決まりとかいうものではなくて

ウイルス感染症がでたー 拡がらないようにしたいねー

って自然に人として考えることだと思ってたんですが

最近の世の中見ているとなんだか違う気がしてきてます。

 

よくわからない理屈や理論でとにかく風潮に逆らおうとする人や

そもそも全く考えていない人もたくさんいて、

なんにも考えていない人はまだマシなんですが

同調圧力と捉えて逆らう人については

ちょっと私の理解できる所ではないです。

 

小難しく言えば

リスクマネジメント(笑)っていう視点で見て

コロナの感染リスク云々で思考が止まっている人ほど

同調圧力だ社会思想だと言っている気もします。

 

同調圧力と、社会思想だと

そういう風に感じるのであればなおさら

同調圧力に対してどのように動くべきなのかは

単純に逆らうよりも自分の行動を

したたかに変化させるべきではないかと思いますし

変化が落ち着いたその先を見据えて

自分が跳ね上がる為に今を行動すべきだと思います。

 

どうも文面では表現しきれないんですが

同じ逆らうにしてももっと方法があって

そういった考えの人は今目立ってないと思います。

対面上は「自粛」はしっかりしながらも自分の考えや行動は

意志を貫いてると思うんですよね。

 

コロナという本質や正体のわからない脅威によって

強制的に世の中と社会が変えられてしまってはいますが、

その変化を受け入れられずに従来の日常を求める事は

主張や意思ではなく、普段に満足して胡坐をかいていたから

変化させられていると勘違いしてムキになっているだけです。

現状に甘えていたから、現状に満足していたから

今が不満に感じるのであって、

そもそもの生活に不満を持っていたり、

そもそもの生活から脱却したい、もっと向上したいと思う人は

普通に過ごせていた毎日の中の娯楽になど執着しませんし

変化した世の中に対応すべく情勢や状況をしっかり見つめ

いつもの日常に見苦しくしがみつくのではなく

今自分ができること、今からできることを

一生懸命模索すると思います。

 

ここまで掘り下げて考えなければいけないことに

少し世の中をあまく見ていた自分がいることを痛感しています。

 

過去の記事で触れたように、

私のブログに遠まわしに反応するその反応があまりに面白くて

ついつい私の主張も隠すことなく書いてしまい

めちゃくちゃ長くなっています。

 

 

最後に、呼びかけられたはじめの「自粛」と

いまの「自粛」は似ても似つかないほどに変化しました。

 

ウイルスと同じで

人の体を経て変異したんでしょうね。

 

 

杉本