杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

無題

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

新型コロナウイルスの感染再拡大が心配されるなか

初期とは違って若い年代での感染が目立っています。

 

経済再開の背景には、感染拡大を防ぐという観点では

到底両立できないであろう要素もたくさんあります。

本来はその要素に対して、国が補償するなどのケアを

しっかりと明確にした上で取り組むべきなのですが、

ピンポイントでの対応をなぜか嫌がり、

大げさに全体をケアするといった名目を打ち出しながら

実は、それを理由にやらない為の理由をこじつけ

とにかく国として国民を守ろうといった意識は

全く見えません。

とにかくやらない為の理由と

やらないためのロジックを作り出すことに躍起です。

 

政府が見ているのは「経済」「動いているお金」であって

それを作り出すための国民の命はいくらでも替えが利くと思っています。

国民はあくまでもお金を生み出す為の微生物程度の存在で

死ねば生まれてくるから所詮は家畜以下の存在ということが

本当によくわかりました。

 

鳥インフルエンザ口蹄疫などに代表されるように

実はお金に直結する鳥や牛は殺処分したり死んでも

どこかからもってきて繁殖さえさせれば再生できます。

とにかく少しでも今の収益からのあがりを落とさないように

鳥が全滅しようがどうでもよくて、

阿鼻叫喚だろうがなんだろうが動く様々な数字を維持できれば

それでいいと思っているのが透けて見えます。

 

この例えでは批判を受けるかとは思いますが、

もっと細かな連鎖や関係をきちんと紐解いてみれば

国が国民をどのように見ているかと

気付けるのではないかと私は思います。

 

あくまでも報道などでしか情報はなく真実は知りませんが、

北朝鮮や、中国の貧民層、ウイグルなどでは報道で知られるように

奴隷と変わりない生活を強いられているイメージがあるかと思います。

 

日本は一見、社会性や秩序に恵まれた国のように思えます。

しかし、社会の構図や日ごろの国の対応、法の位置づけなど

いろいろな事を贔屓目なしに考えてみれば、

扱いは奴隷ではなく家畜です。

奴隷は劣悪な環境で強制的に働かされ換金されるのに対し、

家畜は生活環境を整えられ平和に生活はできますが

確実に血肉骨を換金され、役に立たなくなったり邪魔になれば

簡単に切り捨てられるという点では奴隷よりも扱いの意識は軽いと言えます。

 

 GoToキャンペーンにその意味がかなり集約されていて、

もともと経済経済!仕事仕事!と言っていた人はじめ

国民の意識もだんだんとそのように向いて来ている事は

心の底から残念で、

「このままだと衣食住が取り上げられるかもしれない」

という状況で飼い主(政府)に見捨てられかけている危機感にあがいています。

 

また、

「コロナで死ぬかもしれないけど、致死率低いんだから死ぬやつは運が悪い。残念」

「経済的に死ぬかコロナで死ぬか賭けようぜ!」

と言っているということに気づいてほしい。

 

コロナの死亡リスクが低い事については諸説あり

その点については私なりにその意味は理解している事です。

 

しかし、過去にも指摘したとおり

コロナに感染すればその症状に関係なく

感染者を中心とした周辺全ての経済は問答無用で止まります。

他の事もできなくなります。

そこをなぜかみんな見ようとしません。

 

とはいえ、休業や自粛を続けていれば

確かに経済的に困窮し、最悪それを原因に

命の危険につながるかもしれません。

 

症状がなく、ただの風邪程度でも感染すれば

いまは無条件に周辺含めて生活を止められます。

そういった事を含めて

コロナによって生活を奪われる可能性はあります。

コロナのために自粛し我慢を続けた結果

経済的な問題で生活を終える可能性も高いです。

 

両方の面でどちらを選んでも生活が困窮する事は見えています。

 

だからといって、

コロナに感染しないことに賭けて自粛をやめ

経済と人々を無理やり動かすということは

先に述べたとおり、コロナにかかって死ぬやつは運がない

死ななくとも周辺を巻き添えにして共倒れするのも

運がないという考え方は非常に乱暴な考え方で、

結果的には家畜の扱いと同じではないかと

私は思うのです。

 

そんな方針を暗黙のうちに進めるぐらいなら

はっきりと「指定感染症」からコロナを外せばいいんです。

そうすればインフルエンザ程度の扱いに「法的」になるので

それぞれがそれぞれで責任を負って対処すればいいわけです。

なんでしないのかな?国民も経済経済いうやつはそれを求めればいいのに…

結局は指定感染症法で守られた背景からの対岸の火事なんですよね

コロナを軽視するやつはどいつもこいつも。

万が一の保険は掛けておきたいから今の扱いのままで

自分はなぜか感染しない確率のほうが高いから騒がれると邪魔で、

ほぼ感染しない感染してもへっちゃらなはずの自分には関係ないのに

運のないヘボ感染者に自分の収入の足を引っ張られているのが

ただ嫌で仕事の邪魔されてる感覚なだけでしょ?

自分に関係ないところで人が死のうが迷惑なだけで。結局金ですよ。

 

 

私はコロナ以前の平和な世の中で

本来はこんな考え方を否定して成り立っていたはずの社会と

思ってもいない綺麗ごとと贅沢を言う人々に苦労してきたので

いまさらながらにこんなギャンブル的な命を賭けるやり方は

世の中が180度変わってしまったほどの違和感を感じます。

 

今の社会の中で

「仕事に命をかけることができる」から自粛はしない

そういった考えを打ち出す人がいることにも驚きですが、

「命を賭ける」の「賭ける」はコロナにおける今の社会状況から

私に言わせればそれはただのギャンブルです。

 

自分や社運といったように、何かを成し遂げる為に

自分だけ、自社だけ、チームだけがリスクを負うなら

それは確かに立派なチャレンジ精神です。

自社であれば従業員や関係先、取引先などにも影響は出ますが

それは賭けに出るプランにおいてのチームでもあります。

だからその賭けに皆が乗っかっている状態なので

そういった命運をかける挑戦は確かにアリだと思います。

 

しかし、今回のようなリスクの先に対する価値感が異なる中、

その賭けの結果がリスクに落ちてしまった場合、

全く関係ない人や望まない周辺にまで影響が出てしまう賭けは

ただの自己満足と自己主張で迷惑だと言いたいのです。

 

ではどうすれば正解なのか?

そんなことは誰にもわかりません。

 

何がなんだかわからない相手が敵なのですから

答えなんてありようがないのです。

 

理想を言えば、

とにかくはやく感染を収束させることが第一で

経済を止めるのではなく、人の動きを止める。

 

緊急事態宣言と自粛の効果で拡大が減少したのか?

と、思われるのであれば、中途半端ではなく

完全収束に近い状況まで徹底すべきでした。

その中で状況に合わせての立ち振る舞いを模索し方針を決める。

 

生活の補償に関しても、嫌なのはわかりますが

いい加減で最低限ですらない、間に合わない補償対応をしているから

経済がー経済がーといった視点がどうしてもぬぐえないのであって

きっちりと最低限の安心材料を何らかの形で担保して

その上で感染拡大を防ぐ目的としての自粛を呼びかければ

もっと効果的な自粛が起こっていたのではないかと思います。

 

多くの人が今回の政府の対応について

「国は国民を守ってくれないんだ」という感情を抱いたと思います。

本来そんな状況で自粛なんてしようと思うわけがないんです。

そりゃ生活があるんですから今の政府の対応ではコロナにかまっていられません。

それでも多くの人が自粛して我慢した事は本当に凄い事だと思います。

 

だいたい、国民一人当たりは10万円でなんとかやってくれ、

仕事も個人は100万円、中小企業でも200万円でこの状況を乗り切ってくれ。

そうお願いしている側の人々はこれほどの社会状況で

景気、経済を心配しなければいけない状況なのに

ボーナスとして300万ももらっている人が

民間ではなく国に従事する立場でいることが驚きです。

なんですか?この金額の設定?

 

そもそもボーナスというものについても私は疑問で

経営的に利益が良かったから賞与として出されるのがボーナスですよね?

民間でもそうですが、基本給として設定されている事が本当に私は疑問です。

今の世の中はボーナスを出せる企業自体が少ないはずで

借金だらけの国の経営上ではボーナスなんて発想が出る事自体が異常です。

しかも以前から、会社(国)の経営上運営上に発生した借金にもかかわらず

その借金は自分たちの収入を発生させるいわば従業員、いやお客様?

に当たるはずのお金を払っている国民の借金?なんで?

全くもって意味がわかりません。 

 

とにかく職業に関わらず国民生活が苦しいときに

経済という都合の良いいいわけを活用して

税収や利権を優先して手間を掛けまくり、

国民に対して直接的にお金を使うべきときなのに、

税金使って旅行に行けという発想になることは

本当に頭がおかしいのかと思う。

 

これ以上感染拡大すればキャンペーンができなくなるから

意地でも、とにかくはやくキャンペーンを始めてしまわないと

関わる利権を生まなくなるから連休に間に合わせろ!

やっちゃえばどうにかなる!というのが本音でしょう。

 

 

国民、民間への補償はとにかくやりたくないから

時間を掛けまくってやらない言い訳を探しまくったあげく

間に合わなくなって遅れまくりながらしぶしぶやりました。

でも、自分たちのキャンペーンや自分たちのやりたい事は

国民がどんなに反対してもやりますし、

計画も固まっていないのに2兆円近い費用は確定させて

驚くほど非常に迅速に着手しやってしまいます。

 

この状況を見ていて税金を納める本来の意味が何処にあるのか心から疑問です。

正しく、明快に透明性をもって運営されるなら国民として当然の義務だと思います。

 

知っていはいましたが例のない有事に際して

最悪の状態を実際に目の当たりにして

改めて税金を納める意味がわからなくなりました。

 

本当の有事にあれだけの悪あがきを見せられてしまっても

私たち国民には何も対抗する方法がありません。

 

選挙?

私にとっては笑うしかない制度です。

投票に足しげく通えば通うほど反映されないあんなもの

みんながやめて崩壊させるしか改善する方法はありません。

 

そもそも本当に優秀で善良な人は自分から政治に手を挙げません。

 

今の選挙には何らかの思惑で自分から手を上げてる人しかいないのに

誰に投票しても何かしらの邪な計画に加担するのと結局おなじです。

 

でも幸い、私のまわりには本当に熱い思いをもって出馬して

在任中もぶれることなく一生懸命活動した人が何人かいました。

 

でも皆途中でやめました。

 

全員が

「本気だけではどうにもならない世界を知った」

といっています。

 

そんな世界で決められて成り立っている社会がまともなわけがないんです。

 

 

感染に関してもうひとこと言いたい。

 

死亡している人の人数が少ないからなんですか?

少なければその遺族に対して完全な生活の補償や特別な何かがあるんですか?

多少の犠牲は仕方がない?自分が死ぬか自分の大切な人を亡くしてから言え。

人の死をそんな風に言える人は、自分が安全で当事者にならない事が前提で

SNSで、匿名で誹謗中傷している人種と全く同じ。

コロナで身内をなくした遺族に面と向かって言え。

自分の大切な人を亡くしてから経済の為に仕方がないと言え。

 

でも、どんなに

「そうなったら俺はいえるよ。俺は仕方がないといえるよ」

という人で実際に自分が被害者になってから言える人を

私の経験上1人たりとも見たことがなく、

むしろ人も死なないような状況で、様々な自分の責任に対して

自分が関係ないうちは無責任に偉そうな事を散々言っておいて

いざ自分に火の粉が飛んできたり関わらなくてはいけなくなれば

 誰よりもはやく逃げて誰よりも醜く騒ぎ始め、

誰よりも被害者意識を前面にだして暴れだし

誰よりも被害者としての権利を主張し始める。

 

本当に醜い。

 

確かに経済と天秤に掛けてみれば無視できない問題。

本当に現実的には仕方がないことなのかもしれない。

でも、どんなに現実的にそんな思いが成り立たなくても

人の死を仕方がないとか多少の犠牲とかで片付けていい時代じゃないはず。

 

同じ醜くどうしようもなくあがくなら

人の死を最後まで尊重し、被害者、感染者を批判せずに

その結果で自滅を選ぶほうがいい。

 

どんなに自分が嫌いな人であっても

その家族や友人にとっては大切な人なはず。

自分にだって大切な人や失いたくない家族がいる。

自分だって何処で誰と何時知り合うかもわからない。

友人になるかもしれない、仕事のお客様になるかもしれない、

取引先になるかもしれない。

だから、知らない人の命は関係ない仕方がないなんてことは言いたくない。

 

 

本当に今の世の中の議論はどこかおかしい。

言うべきことを言わず、指摘すべきことを指摘せず

考えることを考えず、向き合うことに向き合わず、

現状、現状、お金、お金、のために都合のいい意見ばかり。

本当に醜い。

 

 

杉本