杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

理由

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

 

22日から強行するGoToキャンペーン。

とんでもない理論を背景に強行。

 

東京など他にも一部の条件下での対象外を追加していて

結局のところ誰がいくの?って内容になっています。

 

賛成派の有識者(?)によると、

「行く人は行けばいいし行かない人は行かなければいい

 呼びたい所は呼べば良いし呼びたくなければ呼ばなければ良い

そういうキャンペーンですから色々言うのはどうかと思う」

らしいです(笑)

じゃ、わざわざ世の中を混乱させて対策費を投入するほど

どうしても今やらないといけないものでもないですよね?

ちゃんとして、時間を掛けてやるにはいい計画だと思いますよ?

 

余計に本題の目的とは違うものが見えてわらえます。

 

 

ここまでしてこの状況下での強行については

観光業の緊急救済を一番の理由に持ってきていますが

その理由を前提に考えるにはあまりに乱暴で杜撰な計画で、

ほんとうにそこが理由なのか疑問しかでない内容。

 

ではなにが一番の目的の強行理由なのか?

少し考えてみました。

 

まず第一に、

漫画や映画の話ではなく「利権」です。

緊急的な救済が必要だと判断するような状況で

遠回りで間接的な手間をかける理由がみあたりません。

直接観光業に対して補償の形で費用をかけたほうが

いきわたる金額的にも確実に増えますし、

平均的に観光業全体への救済を行うことができます。

しかし、計画は観光業に直接的な金銭支援をせず

あくまでも旅行者の利用を前提としていて

この時期の旅行者数を考えてみれば、

対策予算に対してその効果は実はかなり少ないものとなります。

同時にかなりのリスクを担って、各自の営業努力と

今の時期に旅行をしようという通常時とは異なるニーズに対する

サービスへの投資と準備も必要となります。

給付金や政策同様、対策予算を計上してしまえば予算は満額使えます。

対策として実質的に必要となった費用以外の予算は余って、

名目さえつければ何処にでも分配できます。これが利権分です。

また、オリンピックに伴って予定していた様々な既存の計画に対し

絶対に払わなければいけないものとして、

もしくはすでに払ってしまっている為、

この計画を中止する事はできないのです。

 

次に、

「国を挙げて国民を使った実験」です。

来年予定されるオリンピックに対して、

まずは外国人のためにも観光業を死守しなければいけません。

はじめに挙げた利権によってあらかじめオリンピックに関係する

約束された特定の観光業、特定の業者を守っておいて、

次に国内移動に対しての感染者の状況を確認する為にも

逆にこの時期に国民にある程度県外移動などの旅行を行わせ

来年の計画に対する指針としての実験的なデータがほしい為

かなり強引にでも大義名分がある旅行をつかって

都道府県別の移動による推移を観察したいということも

今回の強行の十分な理由として考えることができます。

結論からは、現状よりも来年に向けての実験を

国民を使って行っておこうと言うのが政府の狙いかと思います。

自国の国民を使って実験することでコロナ背景の旅行、宿泊などの

実データをもとにしての海外需要に対する保険データをつくり

大手を振って外国人観光客をオリンピックに焦点を合わせて

日本に招きやすくする事が目的ともいえるわけです。

 

感染がじわじわと拡大する今の時期は

何かにつけて都合がいいと言える状況でもあるわけです。

 

どちらにしても予定調和で、

不規則なコロナに対しては国民を使って実験し

結果を基にとにかくオリンピックをやりたい。

 

国内の経済がどうのこうのというのはあくまでも建前で、

オリンピックで生まれるお金、海外からの需要のお金。

いまはGoToの迷走で国民の目先を変えられていますが、

強行した事は、国民がどうなろうと何人死のうとどうでもいい

個人個人なんてみていない。経済とお金さえちゃんと動けば

それを動かしている人の種類などどうでもいいと言い切ったのと

ほぼ同じだと言う事に気付いてほしいところです。

お金と経済のための代わりと計画はいくらでもあるから

役に立たないやつはいらないといわれたんですよ?

 

まるで家畜ですね。

お金と天秤に掛けた時点で人ではないはずですよ?

 

みなさんも仕事をしていて、

職場の中での仲間や、私生活につながる友達もいませんか?

職場の利益を生んだり、仕事を担ってくれる人に対して

同じ仕事で同じ利益なら代わりは誰でもいいと思っていますか?

目の前の同僚が死んでも同じ利益を生む代わりの人がいれば

それでいいという考えなんですか?

 

普段から、愛と友情のドラマや映画に涙して感動し、

友達だの家族だの仲間だのなんだのときれいごと言っても

所詮は平和ボケのもたらす戯言で、結局はお金、実益なんですかね。

確かにそうなんでしょうが、

社会や経済や人ってそうじゃないと私は思いたいです。

きれいごとじゃなく本気で思ってます。

有事にこそ人のそういった部分がほんとうに明確になりますよね。

 

 

 

まぁ色々と文句を言ってますので

「それならば対案をだせよ」という人がいます。

対案?ありますよ(笑)

少なくとも今の自分のまわりの人を、

自分の意地や損得や自己満足や精神論ではなく

ちゃんと守るためのものが。ちゃんと戦う覚悟もありますし。

対案対案言う人には絶対わからないので言いませんけど(笑)

それに私の対案程度では私のまわりしか守れません。

 

 

杉本