杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

私の考える簡単な今後とコロナで見えた事

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

これはあくまでも独り言です。

そしてとても長いです。

後半は愚痴なのと、書き残したいから書いただけですから

そもそも読まないで下さい。笑

 

まず、

現在の政府の対応が今後どうなるかを

今の時点で私なりに考えてみました。

 

まず、過去の記事でも書きましたが

現在の国民支援対策と言われる給付金や企業融資ですが

私は国民の誰にもお金はわたらないと判断しています。

 

過去に行政とのトラブルを何度か経験している経験上、

現在の政府の対応は正に行政対応の見本です。

 

まず国民を支援する為と経済対策を含めた

費用約109兆円(間違っていたらすみません)は

ほとんどの国民の手に渡ることも、直接的な影響に使われる事も無く

コロナウイルス収束後には109兆円がまるまる国民の借金に計上されます。

 

実際には50兆円も使っていなくても、

一旦対策費として計上された予算はほかの事には使えません。

 

余ったからといって他の予算に分配したり

補填を行うといった事はしないのです。

 

行政もそうですが、企業の何割かは前年対比での予算編成に

代表されるように、いったんそこにいくら使うか決めれば、

いくらあまろうが他の予算のために編成しなおさないのです。

 

例えば、

A計画として1億円の予算を投入し、計画が完了した際に

実際には5千万しか使わなかったとします。

普通は5千万余りますから次の計画や、他の計画の赤字の補填に

当てたりすると思いがちですが、

実際にはその5千万は何処にいったのかわからないまま

計画上の予算は1億円だから1億円の計画での決算を証明するため

人件費を水増ししたり、原価を変動させたり、雑費として

様々な支出を後から加えておおよそ1億円の計画として

ちょっと赤字で計上する事がほとんどです。

 

今回も同様に、

コロナウイルス対策費として109兆円を計上していますが

実際には民間に対しての対策はすべて

「その方向で調整」「その方針で検討」

を続けています。

 

調整しましたが出来ませんでした

検討しましたが不可能でした

で全て形がつきます。

 

行政の対応は一事が万事この対応が入り口になり、

このまま時間が過ぎて騒動が収束に向かえば

そのままズルズルと何もしないまま終わる事となります。

 

民間がそういったことであきらめムードになってきたころ

企業や、財界の関連に名目上は対策のような体を装って

ばらまきます。当然その際に上乗せされる資料には

臨時ボーナスともいえる費用が、関係した者にわたり

領収書上は正式なものさえ用意できれば、

実際に行われたものかどうかなどは誰にもわかりません。

 

もしも実際に給付が行われる可能性を考えるとすれば

感染爆発がおこり、諸外国を越える悲惨な状況に陥って

目に見えて国民に無視できない規模の犠牲が出た場合のみで

全く収束の目処がつかなくなって慌てふためいてからかでしょう。

 

 

過去に行政とのトラブルに発展した際もそうでした。

参考になるかはわかりませんが、大まかに話します。

(ほんの少しだけフェイクを入れています)

 

行政と表現しているのは、第3セクター事業のデベロッパーで

議決権と株を40%以上市が保有した半民半官企業の事です。

 

行政の計画する事業の図面上に土地を所有していました。

行政は計画案を成立させ、ほぼ強制的に総会での採決を行い

計画は実行しなければいけない状況を作ってから告知を行いました。

 

計画上、所有していた土地は計画の邪魔になるため、

通常であれば買収または移転など代替案の提示を行ってくるものと

他の地権者もそうですが、私もそう思っていました。

 

しかし、まず行政が持ってきたのは「明け渡し」の要求です。

予算は無いの一点張りで、土地を明け渡してほしいと言ってきました。

 

当時の計画トップは土地の取得に一円も払いたくないとはっきり言っていました。

 

何度も話し合いと交渉を繰り返しましたが平行線で、

毎度「検討します」「調整します」といって持って帰っては

再度「協力してください」という言葉だけを投げかけてきます。

 

所有する土地の地権者として、どんなに崇高な計画であっても

そこを生活原資として所有していた土地の為

最低でも土地に見合った金額での買収をしてもらわなければ

無償で明け渡した後の生活は成り立ちません。

 

せめて規模を縮小したとしても生活する為の代替地をと

提案しましたが、とにかく費用の掛かる事は拒否されました。

 

当然の主張をしていたはずでした。

 

最終的には、行政が主体となって、こちらの生業である部分を

特殊な方法で攻撃し、事実上の破産、倒産状態に追い込む計画を立て

裁判所、弁護士会を加えて一気に潰しにかかってきました。

 

後に当時の担当者との会話でも、

「当時のトップは潰してしまえといっていた」

とはっきり聞いています。

 

勝手に決めた自分たちの計画に必要な土地を

所有者からお金を使わずに取り上げる為に

司法に協力させてまで強行してきました。

 

後に幸いしたのは、

こちらは弁護士なども入れていなかったため油断した事。

 

裁判所では、県弁護士会の会長以下三名が、行政サイドの弁護士と

ともに部屋に待機していました。

 

その時点で「アレ?」と思っていたのですが、

担当書記官が内容を読み上げた際に確信にかわったので

その点についての指摘を行いました。

 

指摘した瞬間に裁判官と書記官の顔色が一気に変わり

同席していた全ての弁護士が慌てたのを

今でもはっきりと覚えています。

 

担当書記官は「15分休憩します!」といって

裁判官と慌てて出て行き、弁護士会からの三人はそわそわ。

 

行政側の弁護士はふたりともファイルをしまって呆然としていました。

 

結論から言いますと、

こちらに専門家がいないことで油断した相手が

裁判所までを巻き込んで重大な法令違反を犯していたということで、

その点を指摘されるというとんでもない重要なミスを犯した為

審議自体が成り立たなくなってしまったと言うものです。

 

裁判所側にもその点について説明を要求しましたが、

重大な法令違反と、対応の不備について

口頭での謝罪はあったものの、書面での要求には

「社会問題に発展する恐れがあるため対応できません」

という返答となりました。

 

弁護士会の三名についても、

各事務所に対して電話にて抗議を入れましたが、

「私たちは内容を知らされないまま同席させられていただけ」

という、専門家とは思えないこどものような返答でした。

 

後日、行政の担当が再びたずねてきた際の第一声は

「おいくらでしたら土地をお譲りいただけますか?」

でした。

 

最終的には、土地に対する適正な金額にての売却に至りましたが

従来の生活原資を生む状況は到底作れませんでしたし、

代替地を購入できるような金額でもありませんでした。

 

ただ、現在は何とか生計を立てれる状況ではありますので

いい経験であったとは思っています。

 

 

私にとって行政の対応と言うのは基本そういったもの

だと認識していますので

現在の政府の発言や内容などについて

何一つ不思議でもなければ、期待も一切していません。

 

私のときも、他の地権者など様々な状況の方々が

本当にひどい目にあって去って行きました。

 

私は幸い普通の話しにまで持っていくことが出来ましたが

一歩間違えれば路頭に迷っていた事は間違いありません。

 

今国民の多くが実生活に直結する悲鳴を上げていて

間に合わずに生活原資を失う人も出ています。

 

 

ウイルスに感染して死亡する人もいますが

まだまだ政府に火が点くほどの人数ではありません。

ひどい言い方ですがこれが事実です。

 

諸外国に比べて死亡者はぜんぜん少なく

感染状況においても多くの人が実感できないような状況では

政府は急を要するような国民への援助を行う必要がないと

そう判断しているのですが、無視できないレベルでは影響があるので、

対策自体は検討していると言うポーズを取ると共に、

その予算の編成だけは後々のために用意している

と言った状況だと思います。

 

自分は本当に大変な状況だから給付を受けれるはず

と思わせるにんじんをぶら下げておく必要があって、

そうしなければ先が見えなくて倒れるものが続出します。

 

にんじんさえぶら下げれば、そこまで耐えて頑張ろうとします。

そのためには一見何とかなりそうな案を検討して見せるのです。

 

銀行の融資で経験した人も多いはず。

検討、打診します、ほぼ大丈夫だと思います

といって経営者を後戻りできない状況まで追い込んでから

一気に融資を断って担保とりあげてを換金します。

 

 

後々、

編成予算が余れば、延期のオリンピックや様々な場所に

国民には許可無く勝手に流用する事もできますし、

そのお金はすでに国民の借金が確定してるので

代わりに莫大な金額を新たな借金として国民が払ってくれる

絶好のチャンスでもあるということです。

 

収束後、使っていない109兆円を支出したと言う理由で

必ずとんでもない増税を行います。

 

国が苦しい国が苦しいと国が苦しいを理由に

お金をかき集める事は一切躊躇しないのに

今のように国民が悲鳴を上げている苦しい状況に対しては

お金を一切出そうとしません。

国民が背負う借金なら、国民に渡るべきなのですが

国民が国のために背負う借金は国民にはほとんど使われません。

 

自分たちはお金をいくら都合よく使っても、

予算編成の名目だけをしっかりとしておけば

国民はせっせと借金として背負い重ねてくれます。

いつでも増税する理由とできます。

 

国が必要な予算だからと計上し続けて

あまろうがダブろうが国民がかぶってくれるのですから

無理な計画を重ね、大義名分を基に数字だけ出しておけば

使い道なんて結局は国民は知る余地も無いのですから

税金で給与を受ける公務員のはずの政治家の多くが

個人資産を十数億所有できるといったような

おかしな状況がまかり通るようになるのです。

 

私はこんな状況を全く不思議だとは思いません。

 

こんな事をずっと繰り返しているから

世界一の借金大国になっています。

 

国民は税金を納めているだけなのに

その運営と変な計上のおかげによって出来た借金が

国民の借金になっていることがおかしいと

本来ならその運営が批判されるべき事が

まかりとおっているのですから

そら、やめられませんよね。

 

断言できますが今の支給金の検討は検討で終わります。

もしも受け取れる人がいたとしても

それは選ばれたごく一部の人で、本当に必要な人には

条件と手続きが邪魔をして絶対に支給されません。

 

政府の検討案に期待している人ははやくあきらめて

自分の生活のために足元を固めるべきです。

 

絶対に国は助けてくれないと私は思っています。

 

だから普段から普通の人とは違うリスクや

社会的な不利を背負って生きています。

一歩間違えればという状況ですが

今の自分が選択できる、

自分の生活と家族を守るために選択しています。

 

それが自分の人生として選択すると言う事。

人の事は人のことですから自由に生きればいい。

いろんな考え方があって当たり前。

でも、その考え方の行動が誰かの犠牲や被害につながらないように

最低限の配慮と発想は必要だと思っています。

自分の考えや自分の行動が人に無責任な迷惑をかけないようにする

それが大人として自分の意地を通すと言う事だと思っています。

 

コロナウイルスも自分ひとりが勝手にかかって

ひとりで勝手にのたれ死ぬなら

べつにこわいともなんとも思いませんし

今まで通り好きに行動します。

 

でも、

無自覚感染の確認しようの無い場合があり

自分が感染しているかわからない状況で、

気付かないからといって、

頭から感染してない前提で行動すれば

感染を望まない人にむやみにうつしてしまうリスクがあって

誰に、何処でうつして、その人がどうなるかわからない。

 

自分が全く知らない所で、

自分の行動に対して自分では一切責任が取れない状況が

起こる可能性があるから

考えられる限りの配慮をしているつもりです。

 

人それぞれいろんな考えがある。それは全く否定しません。

人は人、どんな生活をしていようとも気になりませんし

どんな考えなのかも気になりませんし

変えようとも思いません。

そもそも人に興味がありませんので

干渉する気もありません。

 

望まれれば協力しますし、力も尽くします。

自分と合わないなら自分から関わりませんし非難もしません。

 

みんな好きに生きればいいし、自由にすればいい。

でも

周りのことを考えない自我は考え方でも生き方でもなく

ただの自己中の自分勝手です。

 

考え方の違いとかではなく、物理的な、実質的な負担や

リスクを自分以外に与えてその指摘や批判を他方から受ける事に対し

考え方だと言う主張は成り立ちません。

 

いままさにウイルスのリスクというのは

考え方とか生き方以前に、

全く関係ない、全く想像できない状況でのリスクがある。

 

様々な状況の中いろいろな環境や境遇の人がいて

その中で状況は違えど考えれることを

収束のために皆で協力したいという思いから

それぞれの状況で出来ることを考えましょうと

自分は自分の環境で出来る選択と考えを行動し、

そこに配慮することを話してきましたが

人の命にかかわるリスクがあるという状況に配慮する事に対して

考え方が違うのだから振りかざして押し付けるなといった

そんな非難をされるとは夢にも思っていませんでした。

 

ウイルスの感染拡大という一つの脅威があって

人人感染が指摘され、

一番簡単な収束への近道が人との接触を減らす事という中、

ほんとうに影響を受けて大変な状況の人が増えてしまい

とにかく一瞬でもはやく収束してほしくて

ひとりでも望まない命が奪われる事を防ぎたいと

そう思うなら少しでも何をすべきかのところに

考え方なんて関係ないとおもっています。

 

自分がいくら平気だと思っていても

数パーセントでもむやみに人を死に至らしめる可能性がある

そんな状況と可能性を突きつけられているのに

可能な限りの予防策を考えて協力を促す事が

そんなにも滑稽で、押し付けがましいことでしょうか?

 

自分が罹る可能性が平気な人はそれでいいんです。

でもそれは自分ですべて完結できる人が言うべき事で

だれにもうつさず、医療に負担をかけず、病床も使わず、

自分で勝手に治せるならいい。勝手に死ぬのもいい。

 

でも自分が罹れば、自分とは考え方の違う、全く平気ではない、

全く望んでいない人に平気な自分がうつすかもしれない。

かかるやつが悪いんですか?

死ぬ人はただの不運なんですか?

 

おそらく自分は罹っても平気だとか、さわぎすぎだとか

俺はこわくないから自由に行動するとかいっている人は

このままその人がかからず世の中のウイルスが収束すれば

「ほら!俺の言った通りぜんぜん平気やったやろ!」

と、ドヤ顔でまわりに言いまくるだろうと思いますが、

ウイルスで死んだ人の家族の前でも胸をはって言えますか?

日夜激務に追われていた医療従事者の前でも言えますか?

感染拡大の影響で倒産、失業を余儀なくされた人の前で言えますか?

 

自分の状況や、自分の見える範囲でしか理解せず、

そういった想像ができないような主義主張のどこに

意地や理念があるんでしょう。

 

人の生き方やこだわりや考え方とは全く関係なく、

人の命の危険があって、実際に亡くなられている方がいて、

そのご家族がいて、本当に望まざる被害者が実在する状況を

楽観視することは私には出来ません。

 

ウイルスの情報がたとえ嘘であったとしても

それを嘘だと100%確認できない自分は、

人が死ぬリスクを少しでも回避するほうを選びます。

出回る情報が嘘じゃなかったときのことを考えます。

 

 

社会的にも人間的にもけして胸ははれない自分ですが

自分の主義主張で無責任に人にまでリスクを与える考えは押し付けれません。

自分の考えのために望まないリスクを背負わせれません。

 

 

自分は

人の死について自分の中の条件が整えば

全くなんとも思いませんしなにも感じません。

 

条件はかなり厳しいのでなかなか該当しませんが

普通の人よりもその点についてはかなり冷たい人間です。

 

ただ、自分が望まない死、

勝手な自己主張で赤の他人に無意味に影響させてしまう死など、

全く知らない人だけでも嫌なのに、

自分が守りたい相手まで

自分のせいでひどい目や、場合によっては死なせてしまうかもしれない。

 

私は人よりも強い主張と意地を持っているつもりですが、

そんな事を少しも考えられない馬鹿にはなりたくない。

 

自分の意地は自分ひとりで貫いて自分で責任取るのが意地。

知らないからと気付かないからと好き放題するのとは違います。

意地を張るなら人一倍そこにも意地を張っていたい。

やりたいことのために自分以外に無駄な犠牲をだすことは

個性ですらなく、意地や主義や主張なんかじゃありません。

 

みんながみんな問答無用で自粛すればいいなんて思っていない。

 

自粛できない人だってたくさんいる。

 

そんなことすら考えられないような状況の人もいる。

 

そういう意味でいろんな人といろんな考えがある。

 

でもウイルスを早く何とかしたい気持は多くが同じはず。

こんな状況なんて早く終わってほしい。

 

だから自分の状況でできる事を出来る範囲で、少ししてください、

少しだけでいいから心がけてくださいって言ってるだけ。

 

その上で自分はこういった判断とこういった考えですと

そういってるだけ。出来るのにしない人に呼びかけてるだけ。

 

やらないひとはやらないなりに気をつけれることがある。

 

ただただ、もうウイルスを拡大させずに終わらせようよって

そういうことをよびかけてるだけ。

 

 

こんな例えではわからないだろうけど、

自分が運転技術を過信して、高速道路を暴走して、

周りからの注意や指摘にも

「これが自分だ」「考え方だ」「俺の生き方だ」

「事故なんて怖くない」「怖いやつは寄ってくるな」

と反論して、事故を起こして周りの車を巻き込んで

たくさんの人を死亡させ怪我をさせて、

消防を出動させて、レスキューに助けてもらって

救急車に乗って、医療を受けて、病床を使って、

それのどこが主張と生き方考え方なんですか?

 

怖がっていた友達に「大丈夫大丈夫」といって横に乗せて

事故して友達を殺してしまって、自分は助かって、

さらにそのうえに

事故を起こしたくないから安全運転していた人たちを巻き込んで

リスクに向き合って考えてちゃんとふつうにしていたひとを

殺して怪我させて、関係ない消防や医療の人たちに負担をかけて

それが自分の生き方で自分の主張なんですか?

そんなつもりは無いで済むんですか?

 

そんなつもりはないなどと言う言葉はめちゃくちゃかっこ悪いです。

 

自己主張で死ぬのがこわくないなら勝手にひとりで死ねよ。

そんなコントロールも選択も出来ないウイルスが相手だから

きれいごとじゃなく皆自分を我慢して気をつけてるし、

再三世の中に呼びかけがあるんだよ。

そんなこともわからない

あまりにも稚拙で、あまりにも自分勝手な考え方。

そんなものはひとそれぞれでもなんでもない。

 

貫くなら一人でやれ

リスクのあるほうに人を導くなよ

普通に考えてたどり着く答えが自分と違うからと

振りかざすな押し付けるなと言いながら

お前がお前の考えを押し付けるなよ。

 

どんなルールにもそれなりにちゃんとなりの理由があって、

ルールの理由を全く理解せずにむやみに反論するのはただの馬鹿で

ルールを理解して破るやつはちゃんとした信念がある。一緒にするな。

理解しているやつはその趣旨も内容もちゃんとわかった上で

よりよくしようとする為に逆らうんだよ。

ルールはみんなが良くなる為に破るものなんだよ。

 

いまのウイルスに対する自粛の呼びかけに関しても

普通に考えればたどり着けるちゃんと正当な理由があって

ちゃんとした目的を持って足並みそろえようって

リスクを解消する為のそういう呼びかけなんだよ。

 

そういった呼びかけを見極める事もできず

内容も状況もぜんぜん理解していない、

ただ校則を押し付けられた中学生のようにしか感じてない

いつまでも校則違反の範疇をでれない感覚のやつは

本当に馬鹿。馬鹿では足りないし救いようが無い。

 

そんな想像力も判断力も無い、

自分は優れていると勘違いしているような

そんな主張をする人は

おそらく上記に挙げた例え話しすら

全く理解する事もできないでしょうが

私は自分の為に書き残したいから書きました。

 

自由と自分勝手を履き違えてる人があまりに多いことに

今回のコロナウイルスで本当に気付かされました。

 

 

あくまでもこれは全部ひとりごとです。

 

 

 杉本