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杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する情報を発信

同病異治・医食同源

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

漢方の言葉に「同病異治」(どうびょういち)という言葉があります。

漢方では、同じ症状の患者にそれぞれ違う薬を処方したり、違う症状に対して同じ薬を処方したりすることがあるのですが、それを指す言葉です。

西洋医学の処方では病気や症状に対してひとつの薬を使いますので、個人差は殆どなく病名=薬の発想で、高血圧には高血圧の薬、といった処方が行われるのに対して、漢方ではひとつの漢方薬に様々な効能があることを前提に、違う症状の患者に同じ薬を処方することがあります。逆に、例えばA、Bとふたつの漢方薬が同じ効能を持つ漢方薬であった場合、個人個人の体質の違いなどによって適合を考え、同じ症状であっても一方にはAの処方を行い、一方にはBの処方を行うなどのそれぞれの判断をします。

これは、西洋医学においての考え方である病気や症状に対する縦割りの考え方ではなく、患者それぞれの体の状態を考慮して診断する漢方の発想によるものです。

 

この診断方法については様々な考え方があると思いますが、本来人間の生活習慣や食事の内容など、育ってきた環境は千差万別であるので、構成されたからだの作りは細かな部分までもが一人ひとり異なっていると思います。

こういった発想が元になって漢方では問診などを重点的に行って、その間じゃ一人ひとりに適合すると思われる処方を行うのですが、西洋医学ではメカニズムを全てひとくくりにして、病気や症状についても同様にメカニズムの観点からの処方を行うわけです。

 

 有名な言葉として「医食同源」という言葉があります。

これは薬も医もない太古、食べたものが体を作り、食べているもの自体が体の良し悪しを決める薬そのものであるといった考えに基づいた、生き物としての原点ともいえるとても大切な言葉です。

人間だけでなくすべての生き物は、食べ物(摂取)によって体を作ります。

体を作るというと身長や体重などの表面的なイメージしか出来ないことが多いのですが、体の中にある臓器やヒトの体を構成している60兆の細胞一つ一つまでもがこの食べ物によって作られています。新しい細胞を作り出すのも全て食事からまかなわれた栄養素などを材料に作られるのです。

 

これは誰しもが当たり前にわかっているはずなのですが、実はこの当たり前の部分が非常に軽視されています。毎日の食事は生きる為であるのと同時に自分の体を健康にするか病気にするかの部分でとても重要なことなのです。

 

「同病異治」の発想は、こういった個々の違いを考慮した発想です。

厳密にはそれぞれが毎日違う生活や違う食事、違う運動、違う考えを元に生きています。そうなれば当然ながら出来上がっていく体も違ってくるはずです。

この部分を補う為に、個々の違いをしっかりと見極め、個々の体に最も適したものを探し出して処方するのが「同病異治」の考えです。

 

 

国内では難病(膠原病や免疫疾患、ガンなど)の研究で有名な京都大学医学博士、丹羽耕三(旧 靭負(ゆきえ))教授の言葉に次のようなものがあります。

「神様は、人間や動物を作り上げたとき、食べている食事、木の葉っぱ、木の芽、木の実、気の根っこ、天然の食事のなかにがんに効くものも、活性酸素に効くものも、難病、膠原病に効くもの、みんな食品のなかに与えてあげていると。それをお前たちが食べて、体の中で活性型にして薬にしなさいよ、それで病気から体を守りなさいよと。だから原始人にガンもなければ成人病もないんです。
医食同源という言葉がある。昔はお医者さんなんかいないから医というのは薬のこと。薬と食事は同じものだと。食べているものが薬なんだと。ところがなんで人間だけががん、膠原病、難病にかかり始めたかということになる。私は27年間いろいろやってきましてね、結局到達したことはこういうことです。
天然の植物、木の芽、木の根、木の実の組織図は、みんな正の形でつながれているんです。タンパク質が手をつないでいる。天然のままでは活躍できない、非活性型なんです。木の葉っぱが仮に活性型だと、紫外線が降ってきて活性酸素をばんばん出してしまう。人間や動物がそれを食べると病気になってしまう。ところが植物は非活性型で紫外線を跳ね返すから、人間や動物は食べられるんです。しかし、食べたら強力な胃液で重合型のチェーンを切って、自由な活性型にしてから体の中で吸収させないと意味がないんです。原始人はそうやってきた。
ところが、人間は、幸か不幸か火を使うことを覚えた。調理を始めた。食事が柔らかくなった。食べるときに以前ほどあごを使う必要がなくなった。おのずと唾液、胃液が退化し始めた。神様がせっかく、あなたたちはあごで噛んで咀嚼し、唾液をよく出して、強力な胃液でこのチェーンを切りなさいと言われたのが、切る力がなくなったんです。野獣や家畜は依然として生物や草、木の芽、木の根を食べています。」

 

 さらに博士は、独自の研究で実際に胃の中で行われる消化の過程における食べ物の組織の変化を調べたところ、持論どおりの結果に至ったことを紹介しています。

「3本試験管を立て、1本は朝、獣医さんに馬の胃液を抜いてもらって入れたもの、もう1本は漢方薬がぽちーんと効く人の胃液をもらって入れたもの、最後に皆さんと同じ普通の人の胃液を入れました。そこに大豆、ゴマ、胚芽などを微粉末にして入れ、胃袋と同じ状態の37度の保温器に入れて、3時間置いておきます。保温器から出して、遠心器にかけて、粉を下に落として、胃液を捨てて、下に溜まった粉を調べたんです。
牛や馬の胃液につけた粉と、漢方が効く人の胃液につけた粉を調べたら、チェーンが全部切れていた。普通の人の胃液につけた粉はチェーンが切れていなかったんです。ということは、漢方薬が効くわずかの人は原始人の胃液を持っているんです。胃液が退化していないんです。」

 

上記の文章で言う「漢方が効く人」については私の個人的な解釈ですが少し説明します。

漢方薬は、博士が指摘する原始人の胃液を持つ人に対しては正しく作用するが、現代食に慣らされて退化してしまった状態の体には効果が出にくいと言っていると思われます。漢方薬は生薬ですので、食べ物に限りなく近いものなのです。

食べ物が体に作用するメカニズムを博士の理論に当てはめてみることで、食べ物の延長上にある漢方薬が体に入って正しく作用しないといった考えに至ることは容易に理解できると思います。

たしかに、漢方の発想の大元は食べ物=薬であるため、あくまでも体が正しい生体機能を行うことが前提ともいえます。生体機能が一定以上で正常であるからこそ、入ってきた材料を基にした不具合の修正が出来るのであって、不具合の修正が出来ないレベルで生体機能自体が変化してしまっていては、どんなに良い材料を体に入れても正しく修復する為の作業自体が出来ないといえます。

 私個人の解釈で言う所の「漢方薬が効かない(効きにくい)人」とはこういうことではないかと考えます。

 

もう少し噛み砕いてみると、以前からも記事内で説明していますが薬というのは自分の体には関係なく、薬の働きによって強制的に症状を抑えたり、薬の力で体の働きを強制的に変えたり抑制したりすることによって効果が出るメカニズムです。

これにより体質や状況に関係なく症状に対してある程度平均的な効果を出すことが出来ます。ただ、強制的な部分が体に負担をかけることも少なくなく、薬によって体を壊したりするというのは基本機能とは関係ない強制力によるものであるということです。

食べ物で摂取した材料を基にした機能回復や修復機能の場合、内臓や各機能にはもともとの体質が持ち合わせたリミッターが働きます。内臓や体内の反応全てにおいて過剰に働かないように機能するのですが、薬の場合はこのリミッターには関係なく働きだけに特化した効果を強制します。

たとえば、すでに肝臓の機能にリミッターがかかった状態で、これ以上肝臓を働かせると肝機能自体が損傷する可能性があるところに薬によってリミッターを外されて肝臓機能を強制されると、肝臓が壊れるまでの間は通常機能を取り戻したように見えますが、肝臓が壊れたり薬が切れた時点では肝臓そのものはすでに限界を超えた状態になっているということです。薬が効いている間は肝機能も無理やり働かされていますが実はすでに壊れてしまっていた場合、他の症状や肝機能障害としての数値などが現れますので、今度は肝機能の障害に対しての薬が処方されることになります。

この状態が続いていくと、肝機能だけでなく様々な部位に対して薬が処方されるようになっていくので、客観的に見ると極端な表現ですが自分の体の機能は死んでしまっているのに薬で無理やり働かせているだけになってしまっています。

 

たとえでは肝臓の機能として説明しましたが、細かな体内酵素の働きや細胞形成についても同様のことが言えますので、薬の使用自体にはとても慎重な注意が必要です。

体の機能というのはすべてが連鎖しています。

一部を薬によって強制した時点から、連鎖する全ての機能に何らかの影響があり、その結果不具合を生じることは想像に容易いのではないでしょうか。

基本的な体の機能が優れている人であれば、薬の働きが切れた時点で薬によっておかしくなった部分など体内の不具合を修正することができますので、薬によって一時的に強制したことが助けとなり、結果的に病気を治せた事にもつながります。しかし、体力的にも機能的にもすでに衰えてしまっていたなら、自己での修復機能が追いつかない、または修復不能な状況となり、薬がなければ現状すらも維持できず、次々と不具合が生まれることになり、どちらかといえば薬を飲む前よりも薬の負担によって根本の状況がさらに悪化してしまう事につながります。

 

職場などに例えて考えると、様々な部署に様々な役割を担った職員がそれぞれ働いていて、その働きが全体的に通常の結果を出している状態が会社が健康な状態です。

もしもどこかの部署で、何らかの理由で作業効率が落ちた場合、当然ながら会社全体にも少なからず影響が出ます。この効率を戻すために何をするのかということが、薬を使うのか食生活を改善するのかということにつながってくるのですが、その部署に通常では考えられないほどの凄まじい能力を持った人材を期間限定で雇い入れ、落ちた効率分を働いてもらうのが薬の発想です。

一方、部署の現在の状況を見直して、職員を休ませたり内容の効率化を図ったりと様々な現状の改善を行うことで通常の働きを満足な状態に戻す、またはそれ以上の結果につなげる為の取り組みをすることが食生活や、健康食品、補助食品を使うことに近いです。

 

薬の発想のように、足りない分を補ってくれる人材を補充した場合、その人材が半永久的にその会社に就職し従事してくれるのであれば会社の能力として判断することが出来ますが、薬の効き目と同様、期間が来れば必ずその人材が居なくなるわけですから、人材がいなくなった後のことを考えなくてはいけなくなります。

その人材がいない状態が本来の会社の通常の状態(体の状態)なので、助けを借りている間にいなくなったときのことを想定して、根本的に効率が落ちた原因の改善を行えなければ、いなくなった途端にまた効率の落ちた状態に戻ります。

本来の体の機能としては、効率を補ってくれる人材(薬)がいる間に、いなくなった際にも効率(状態)が維持できるような環境を作り出すための体内改善作業が行われます。

しかしその改善機能自体が低下している場合、補ってくれている間の状態も変化がないままになってしまい、人材がいなくなればまた元通りになってしまうのです。

そしてまた人材を延長して使い続けたり雇いなおしたりと、次へ次へと本来会社にいない人材に頼り続けるという状態が、薬に頼り続ける状態です。

しかも悪いことに、その人材が仕事を必要以上に完璧にこなすばかりに、もともといた従業員や、優秀な人材の影響で楽になったほかの部署の人間までが怠けるようになったりして、その人材がいても効率が落ちるようになってきます。

これが薬が効かなくなってくるという状況です。

そうなると今度ははじめに入れた人材よりもさらに優秀な人材に頼んだり、同じ能力を持った人材を複数に増やしたりするのですが、これが薬が強くなったり増えたりするということです。薬を飲む、頼るということはもともとの能力までも失いかねないということなのです。最終的には自分の体では何も出来なくなってしまいかねないのです。

その最たる例が、薬 → インスリン → 透析 です。

 

普段から食生活を考慮して生活をするということは、現状の従業員のことをしっかりと見て、従業員が効率よく働ける環境を整えることなのです。もしも誰か従業員のなかに体調不良などで不具合が出ても、それらを現存のメンバーで補って、具合の悪くなったメンバーがきちんと回復するように工夫し、本来の状態に戻れるように協力する状況を作るのが、健康な体内状況です。 また、具合が悪くなったことに対して学習する能力も体はちゃんと持ち合わせています。それが免疫機能や抵抗力といった部分です。

 

途中になりますが、上記の内容を単純に考えても、やはり薬のように完全に代わりをしてくれるものに頼ることの弊害はとても深刻ですが、それ以上にもともとの原因をしっかりと考えることと、普段からそういったときの準備を行っておくことが非常に大切であるということです。

 

 

杉本