杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

(続)治療とお金

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

前回の記事でご紹介させていただきました「オプジーボ」ことニボルマブ

 

厚生労働省の発表で、

医療費を“救済的に”半額にするといった報道がありました。

 

措置についてはあくまでも救済的なものであることを強調していますが

一時的にすぎないことはいうまでもありませんし

過去の状況から考えると、患者数が激増した時点で

国庫負担の困窮を理由とした段階的な値上げも予想されます。

 

結果的には前回の記事でもご紹介した通り

開発費用などの原価については絶対に償却しなければいけませんし

国庫負担では絶対に賄えなくなることも予想済みですので

現状としては目先をごまかすだけの対策になるのではないかと

私個人としてはかんがえています。

 

簡単に考えると、

開発費用は最終的に誰が負担するのか?

どういった面で回収を行うのか?

この点で考えれば、

税制と同じく、負担を先延ばしにしているにすぎず、

最終的には儲けも含めた回収に踏み切ると思われます。

 

足りないし、破綻しますよと言われれば

問答無用で値上げを飲まざるを得なくなりますし、

結局のところ税金よろしく決められれば従うしかありませんので

どちらにしてもいずれは払わされます。

 

ただ、

「払わされる」といった表現は適切ではないかもしれません。

実際には開発に関わって莫大な費用もかかっていますし

労力として従事した人の苦労もそこにはあります。

ですから、

単純に値段が安くなれば良いとはいっても

必ず誰かが負担しなくてはいけなくなります。

 

私個人としては、

国の運営で賄って行くべき問題であるのではないかと考えますが

現在の運営思想では、実際問題非常に難しいと言えます。

 

ここからはかなり大きな話になってしまうので切り上げますが、

医療費といった枠組みの中で考えると、

他の医薬品全般を平均的に値上げするか、

診療時の医療費負担のパーセンテージを引き上げるかの

いずれかになるのではないかと思われます。

 

どちらにしても平均的に患者負担額が引き上げられるわけですが、

ひとつだけ問題があるのは

もともと不透明である医療負担の中身に対して、

そういった措置が実際にはどのように流用されるのか

本当に平均負担として分け合うことができるのか

といった点が指摘できます。

 

一般的な理解としては、

医療に関わるすべての費用を100として、

何割を患者、何割を国庫がになって分け合うのか

というものだと思っているでしょうが、

実際には徴収されて振り分けられる医療費から

100支払われた上に患者負担が乗っかっているのが現状です。

 

もっとわかりやすくします。

普段税金として徴収されている税収から

医療費として予算が振り分けられます。

その予算に対して100%国の負担だと足りないので、

実際にかかった何割かを患者に負担してほしいというのが

病院などにかかった際に支払うお金になるわけです。

 

ただ、すべてとはいいませんが

この負担以外の金額は病院などに診療報酬として支払われます。

また、診療点数といったシステムをベースに

診療側、病院側が医療点数を申請して請求するのですが

このシステムは携帯電話のプランなみに複雑で難解で、

実際にいくらの薬をいくらで販売して、

診察代はいくらで人件費などの経費の逆算など

一般的に商店や企業が行なっているようなことが

ほとんどわからない状態であると言えます。

 

ほとんどわからないというのは

納税して保険を利用している利用者に対して

不透明であるという面です。

 

法的には情報開示請求などで見ることも可能なのでしょうが、

厳密には目的がただ見たいだけでは難しい事です。

 

例えに挙げた携帯電話の料金プランを、

請求額と照らし合わせて細かく納得のいく説明のできる、

きちんとすり合わせの出来る人には、

キャリアの店員を含めても出会ったことがありません。

 

 説明を求めても、

「だいたいこんなもの」程度の説明はされても

なるほど!

と思ったことは一度もありません。

 

これは私にとって税制や診療報酬制度についても同じで、

どこか釈然としない漠然とた内容の説明しか受けることができないのです。

 

 今回の値下げに至った経緯には様々な要因があり、

患者負担の軽減を第一のように謳っていますが

実際には諸外国と比べて価格の割合が非常に高いことから

批判が殺到していた点が挙げられます。

 

英国に比べると約5倍、米国ですら約2.5倍と、

日本の薬の薬の価格は非常に高くなっています。

 

日本の政治観点から医薬品業界は経済成長戦略の柱にあるため

薬価改定は段階的に行う中で結果的には予算変動のない状況を

作り出したいところなのですが、

ことオプジーボに関しては、皮膚ガンでの承認をきっかけに

患者数の多い肺がんへの使用に至ったため

患者数の増加とともに価格面での不満が多くなったことも

価格見直しの原因の一つと言えます。

 

厚生労働省は従来25%までの値下げの方針でしたが、

そもそもの価格が高すぎるために今回の判断に

“仕方なく”踏み切った形です。

 

ここまでの構図を見ても

どこかしら違和感を感じざるを得ないのですが、

そもそも医薬品業界や医療業界を、

経済成長戦略の柱として認識しているところが

根本的に間違っていると思われるもので、

本来ならば生死や病などの人の体に関わる部分は

経済や商的な要素とは切り離して考えるべきなのです。

 

たしかに

前述したように開発などには費用が必要ですので

お金と切り離すことは無理なのかもしれません。

しかしながら、

政治的な視点では、儲けや運営、経済や景気、お金の事情とは

やはり完全に分けて考えていただきたいと思うのは

不自然なことなのでしょうか。。。

 

 

杉本

 

治療とお金

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

先日、

過去の16/3/18の記事「高額治療」で紹介した “オプジーボ”(ニボルマブ

についてテレビでの特集がありました。

やはり高額になる薬品の金額について

今後どのように扱って行くのかについての話でしたが、

結局のところ厚生労働省と製薬会社の意見が平行線のままで

患者の実質負担が大きいままの状態となっています。

 

また、産経新聞の報道でも

現状の抗がん治療との併用によって

重篤な副作用があることが報告されたこともあり、

残念ながらなかなかに画期的な治療にはつながらないようです。

 

 

おさらいとして「オプジーボ」(ニボルマブ)が

どういった働きをする薬なのかですが、

人間の体の免疫機能の一つであるT細胞が、本来異物であるがん細胞を

異物として攻撃するのですが、がん細胞が作り出すPDーL1という物質が

T細胞の受容体であるPDー1と結合することで免疫機能が低下し

がん細胞を攻撃することができなくなってしまいます。

オプジーボ(抗PDー1抗体)はT細胞のPDー1受容体と結合して

がん細胞の作るPDーL1との結合を阻害し

T細胞ががん細胞を攻撃する力を守るという働きをするものです。

 

現在のところガン治療においては非常に有効であると言われていて

注目されてはいますが、前述したように重篤な副作用の問題があり、

特に薬剤性肺障害では死亡例の報告があります。

他にも現状で確認されている副作用は、疲労感、食欲不振など

一般的なものに加え、甲状腺異常や下垂体異常、

免疫の異常から発症すると思われる大腸炎、肝機能障害、腎機能障害、

皮膚炎などがあります。

 

メカニズムが非常に画期的であることと

従来の抗がん剤と比較しても有効率が段違いなのが

注目される理由ですが、

免疫系統に直接的に作用するため、副作用の方向性も

かなり危険が伴う可能性を孕んでいることから

取り扱いにはかなり神経質になっているようです。

 

もうひとつの問題点はやはり価格です。

過去の記事でも紹介しましたが、

年間では約3500万円、5%の自己負担に換算しても年間175万円前後必要です。

自己負担の%が変動する中で130万円~175万円を年間負担です。

 

現在、厚生労働省から製薬会社に対して価格の引き下げを打診していますが、

製薬会社には製薬会社の都合がありますので、そう簡単には下げれないようです。

 

基本的にあまり知られてはいませんが、

大まかですが、薬の値段を決めるには

・原材料費(有効成分、添加剤、容器・箱など)
・労務費(労働時間)
・製造経費
・製品製造(輸入)原価
・販売費・研究費等
・営業利益
・流通経費
・消費税

が、元となります。

 

詳しいものとしては「新医薬品の薬価算定方式」を見てください。

 

そもそもが小野薬品はオプシーボ研究開発に自社費用のほとんどを

つぎ込んでいるようなので、算定にあてはめるととんでもない数字になり、

さらには保険適用により何割かが国庫負担となるだけでも、

日本の財政が破綻するそうです。。。

 

基本的に薬品業界はそういった状況にあるため、

結局は「商売」の範疇を出ることができないので

良い意味での国を挙げてのボランティアにでもならない限りは

この問題は避けて通れそうにありません。

 

医療費として国民の生活を支える基本となるものに対して、

そもそもの仕組みや制度、捉え方自体がずれているのかもしれませんね。

 

国家としてその問題がクリアできるように

なんとか頑張って欲しいものです。

 

杉本

 

 

 

 

口は災いの元

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

「口は災いの元」という言葉があります。

一般的には思慮の足りない言葉などを出したばかりに

問題に発展してしまうようなことを指しますが、

この言葉には様々な「実は」が存在します。

 

ドイツの医学的な研究では、

人の息の中の成分の変化分析と研究が行われていて

その内容には驚くべき結果が報告されているのです。

 

研究の結果では、

人の悪口を言う時や怒りの感情を表している際に

人の呼気に「毒」の成分が確認されるのです。

しかもその濃度は感情の強さに応じて上がるというものです。

 

その毒性成分はかなり強力で、

量によっては簡単に人を死に至らしめることが出来るものなのです。

 

呼吸する息をガラス管を通して冷却すると沈殿物が出来るそうで、

その沈殿物は怒りでは栗茶色、苦痛や悲しみでは灰色、

後悔などの感情ではピンク色の沈殿物が出来るそうです。

 

ちなみに1人の人が1時間以上怒り続けると

その呼気中の毒素はおよそ80人を死に至らしめることが出来る量だそうです。

 

ただし、研究時の環境や被験者などによる誤差も考えられる為

いまだ確証にはいたっていないようですが、

当時の研究では上記のような内容が報告されていたようです。

 

現在の科学的な推測によると、

感情によって何らかの形で体内毒素が呼気に含まれる可能性が考えられ

その毒素として一番の可能性が高いのは「ノルアドレナリン」。

ノルアドレナリン」は怒りの感情で分泌される脳内毒素で、

怒り続けるとこの分泌物のせいで病気や老化の原因になるといわれています。

また、自然界に存在する毒としてはマムシの毒に次ぐ毒素で、

あながち無視できない可能性を秘めているともいえます。

逆に、プラス思考の状態では「モルヒネ」が分泌され、

体調の向上や自然治癒力の向上、老化防止につながっているといわれています。

 

まさに

「毒を吐く」は、

揶揄したものではなく実際に毒を吐いていたわけですね〜。

 

怒りをぶつけられる側は

怒りの感情と共に発せられる言葉による不快感だけではなく、

同時に出されている毒性成分に対してもリアルな危機感を

感じていたのかもしれませんね。

 

時には猛毒ともなる人の「言葉」。

昔の人は感じ取っていたのかもしれません。

 

実は人にとって大切な食事も

時には毒にも薬にもなります。

 

食事も口から入るものです。

病気になるのも治すのも全て口から始まります。

 

 「病は口から入り禍は口から出る」という諺の通り

感染を除くほとんどの病気は食べ物が原因で起こるものです。

 

食べ物は体を作り出すただ一つの材料です。

家を作るときと同様、

 材料や手順、そして方法が悪ければ、

完成してゆくものの質が悪くなるのは当たり前です。

 

赤ん坊が大人になる過程で必要な材料は食事だけなのですから、

人間の体も全く同じことが言えるはずです。

 

そして口からよく出るのは「禍」(わざわい)。

これにはあえて説明はいらないでしょう。

 

昔の人は経験で目に見えない何かを

感じていたのでしょう。

 

杉本