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杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する情報を発信

治療とお金

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

先日、

過去の16/3/18の記事「高額治療」で紹介した “オプジーボ”(ニボルマブ

についてテレビでの特集がありました。

やはり高額になる薬品の金額について

今後どのように扱って行くのかについての話でしたが、

結局のところ厚生労働省と製薬会社の意見が平行線のままで

患者の実質負担が大きいままの状態となっています。

 

また、産経新聞の報道でも

現状の抗がん治療との併用によって

重篤な副作用があることが報告されたこともあり、

残念ながらなかなかに画期的な治療にはつながらないようです。

 

 

おさらいとして「オプジーボ」(ニボルマブ)が

どういった働きをする薬なのかですが、

人間の体の免疫機能の一つであるT細胞が、本来異物であるがん細胞を

異物として攻撃するのですが、がん細胞が作り出すPDーL1という物質が

T細胞の受容体であるPDー1と結合することで免疫機能が低下し

がん細胞を攻撃することができなくなってしまいます。

オプジーボ(抗PDー1抗体)はT細胞のPDー1受容体と結合して

がん細胞の作るPDーL1との結合を阻害し

T細胞ががん細胞を攻撃する力を守るという働きをするものです。

 

現在のところガン治療においては非常に有効であると言われていて

注目されてはいますが、前述したように重篤な副作用の問題があり、

特に薬剤性肺障害では死亡例の報告があります。

他にも現状で確認されている副作用は、疲労感、食欲不振など

一般的なものに加え、甲状腺異常や下垂体異常、

免疫の異常から発症すると思われる大腸炎、肝機能障害、腎機能障害、

皮膚炎などがあります。

 

メカニズムが非常に画期的であることと

従来の抗がん剤と比較しても有効率が段違いなのが

注目される理由ですが、

免疫系統に直接的に作用するため、副作用の方向性も

かなり危険が伴う可能性を孕んでいることから

取り扱いにはかなり神経質になっているようです。

 

もうひとつの問題点はやはり価格です。

過去の記事でも紹介しましたが、

年間では約3500万円、5%の自己負担に換算しても年間175万円前後必要です。

自己負担の%が変動する中で130万円~175万円を年間負担です。

 

現在、厚生労働省から製薬会社に対して価格の引き下げを打診していますが、

製薬会社には製薬会社の都合がありますので、そう簡単には下げれないようです。

 

基本的にあまり知られてはいませんが、

大まかですが、薬の値段を決めるには

・原材料費(有効成分、添加剤、容器・箱など)
・労務費(労働時間)
・製造経費
・製品製造(輸入)原価
・販売費・研究費等
・営業利益
・流通経費
・消費税

が、元となります。

 

詳しいものとしては「新医薬品の薬価算定方式」を見てください。

 

そもそもが小野薬品はオプシーボ研究開発に自社費用のほとんどを

つぎ込んでいるようなので、算定にあてはめるととんでもない数字になり、

さらには保険適用により何割かが国庫負担となるだけでも、

日本の財政が破綻するそうです。。。

 

基本的に薬品業界はそういった状況にあるため、

結局は「商売」の範疇を出ることができないので

良い意味での国を挙げてのボランティアにでもならない限りは

この問題は避けて通れそうにありません。

 

医療費として国民の生活を支える基本となるものに対して、

そもそもの仕組みや制度、捉え方自体がずれているのかもしれませんね。

 

国家としてその問題がクリアできるように

なんとか頑張って欲しいものです。

 

杉本

 

 

 

 

口は災いの元

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

「口は災いの元」という言葉があります。

一般的には思慮の足りない言葉などを出したばかりに

問題に発展してしまうようなことを指しますが、

この言葉には様々な「実は」が存在します。

 

ドイツの医学的な研究では、

人の息の中の成分の変化分析と研究が行われていて

その内容には驚くべき結果が報告されているのです。

 

研究の結果では、

人の悪口を言う時や怒りの感情を表している際に

人の呼気に「毒」の成分が確認されるのです。

しかもその濃度は感情の強さに応じて上がるというものです。

 

その毒性成分はかなり強力で、

量によっては簡単に人を死に至らしめることが出来るものなのです。

 

呼吸する息をガラス管を通して冷却すると沈殿物が出来るそうで、

その沈殿物は怒りでは栗茶色、苦痛や悲しみでは灰色、

後悔などの感情ではピンク色の沈殿物が出来るそうです。

 

ちなみに1人の人が1時間以上怒り続けると

その呼気中の毒素はおよそ80人を死に至らしめることが出来る量だそうです。

 

ただし、研究時の環境や被験者などによる誤差も考えられる為

いまだ確証にはいたっていないようですが、

当時の研究では上記のような内容が報告されていたようです。

 

現在の科学的な推測によると、

感情によって何らかの形で体内毒素が呼気に含まれる可能性が考えられ

その毒素として一番の可能性が高いのは「ノルアドレナリン」。

ノルアドレナリン」は怒りの感情で分泌される脳内毒素で、

怒り続けるとこの分泌物のせいで病気や老化の原因になるといわれています。

また、自然界に存在する毒としてはマムシの毒に次ぐ毒素で、

あながち無視できない可能性を秘めているともいえます。

逆に、プラス思考の状態では「モルヒネ」が分泌され、

体調の向上や自然治癒力の向上、老化防止につながっているといわれています。

 

まさに

「毒を吐く」は、

揶揄したものではなく実際に毒を吐いていたわけですね〜。

 

怒りをぶつけられる側は

怒りの感情と共に発せられる言葉による不快感だけではなく、

同時に出されている毒性成分に対してもリアルな危機感を

感じていたのかもしれませんね。

 

時には猛毒ともなる人の「言葉」。

昔の人は感じ取っていたのかもしれません。

 

実は人にとって大切な食事も

時には毒にも薬にもなります。

 

食事も口から入るものです。

病気になるのも治すのも全て口から始まります。

 

 「病は口から入り禍は口から出る」という諺の通り

感染を除くほとんどの病気は食べ物が原因で起こるものです。

 

食べ物は体を作り出すただ一つの材料です。

家を作るときと同様、

 材料や手順、そして方法が悪ければ、

完成してゆくものの質が悪くなるのは当たり前です。

 

赤ん坊が大人になる過程で必要な材料は食事だけなのですから、

人間の体も全く同じことが言えるはずです。

 

そして口からよく出るのは「禍」(わざわい)。

これにはあえて説明はいらないでしょう。

 

昔の人は経験で目に見えない何かを

感じていたのでしょう。

 

杉本

 

医学の研究そして科学の研究とは

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

初心者、または未経験者用の内容ですので

そのつもりでご一読下さい。

 

日々進歩を続ける医学や科学ですが、

もちろんのこと末端の研究者ひとりひとりを基礎とした

本当に微細で膨大な作業の積み重ねがもたらすものです。

 

 その研究、

一般的に認識されている医学や科学の研究に対して

無意識に受け取っているイメージはおおよそ間違っています。

 

分かっている方が多いのも確かなのでしょうが、

イメージや先入観は、研究の専門家以外ではほぼ間違っていると言えます。

 

何気なく聞き流している「科学の研究」や「科学の実験」というと

一般的には初等教育に相当する『理科の実験』のようなイメージではないでしょうか。

 

テレビのワンシーンで見かける、

白衣を着た研究員が顕微鏡をのぞいていたり、

液体の入った試験管を眺めている姿などがありますが、

この風景で行われている内容には目的に応じて様々な側面があり、

学校で教えてもらえるような、教科書のある実験とは違います。

 

本格的な研究や実験と『理科の実験』とは、全く異なります。

異なるという表現も適切ではなく、

そもそもがその内容も目的も全く違うものなのです。

 

説明します。

一般的にイメージされやすい『理科の実験』と呼ばれる学校で習う研究、

実験行為というのは、すでに結果の出ている現象に対する確認作業です。

全ての手順や使用されるもの、反応から結果までがすべて前提に用意されていて、

その手順を忠実に反復することで起こる現象や科学作用を確認する事です。

学校で習うものはすべてが教師などの指導の下、先人がすでに実証していることを

既存の文献を元に履修しているだけなのです。

 

結果の出ている、結果のわかっている事象の確認作業なのです。

わかりますでしょうか?

 

これに対して本来の「科学的な実験」や「医学的な研究」というのは、

未だ確認できていない未知の領域に対しての可能性の模索であり、

わからないことを試す作業なのです。

計算上や理論上でしか導き出せない事象に対して、その事象を現象として

本当に起こるものであるのかを実際に試し、確認する事を目的にします。

 

大きな違いは、

結果も現象も結論もわかっていることの手順を繰り返してみることと、

架空の定義を実際に実践することによって理論が正しいものなのか

チャレンジしてみること。

前者は手順と内容さえ間違わなければ結果はわかっていること。

後者はやってみなければ何もわからないこと。

 

未知の研究や、可能性に関しての実験は甚大な危険性を伴いますので

学校程度では絶対に行うことは出来ません。

 

 

私個人的には

学校の「科学の実験」は、実際にやってみて見る為の

科学の実見』と書くべきだと思います。

 

 

 

本来の「科学の実験」「研究」に関しては、

非常に多くの時間とお金がかかります。

 

まず現存の理論と現象に対してそれらを応用し可能性を模索します。

一つの可能性が導き出されれば、考えられるだけのケースを想定し、

ひとつひとつを試して確認して行きます。

分子原子ひとつのレベルでの違いを修正しながら

出来うる限りの組み合わせ、変化を綿密に試行錯誤します。

 

理論がひとつ失敗しても、

その理論のなかでの配分や手順などすべての要素を微量に変化させ続け

理論に到達できるように模索を続けるわけです。

 

考えることができる限界に到達した時点でその理論は一旦失敗に終わりますが、

その可能性の幅は実に天文学的な数字です。

試さなければいけない事がほぼ無限にあり、

膨大な時間が必要になるのです。

 

これらのことを逆に考えると、

わからないことの方が多いのが自然であって、

わかったことに関して非常に重要な発見であるといえます。

 

にもかかわらず、

わからないことを否定的に捉える方が視野の狭い考えで

分かっていることがすべてであるという考え方は

非常に偏った考えであるとういうことが言えるのです。

 

栄養成分や薬理作用については三分の一、

そして人間の身体のメカニズムについては

厳密には1割程度しかわかっていません。

 

国レベルの認識でもそのていどなのですが、

決まりごとはそれが基準になり決められます。

 

だから未知のことや理不尽な出来事があった際には

誰かが負担を被る、被害者が存在する状況になるのです。

 

 身近なことに置き換えてみてください。

 

わからないこと、知らないことを否定することが

いかに滑稽であることか。。。

 

 

 

杉本