杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

口は災いの元

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

「口は災いの元」という言葉があります。

一般的には思慮の足りない言葉などを出したばかりに

問題に発展してしまうようなことを指しますが、

この言葉には様々な「実は」が存在します。

 

ドイツの医学的な研究では、

人の息の中の成分の変化分析と研究が行われていて

その内容には驚くべき結果が報告されているのです。

 

研究の結果では、

人の悪口を言う時や怒りの感情を表している際に

人の呼気に「毒」の成分が確認されるのです。

しかもその濃度は感情の強さに応じて上がるというものです。

 

その毒性成分はかなり強力で、

量によっては簡単に人を死に至らしめることが出来るものなのです。

 

呼吸する息をガラス管を通して冷却すると沈殿物が出来るそうで、

その沈殿物は怒りでは栗茶色、苦痛や悲しみでは灰色、

後悔などの感情ではピンク色の沈殿物が出来るそうです。

 

ちなみに1人の人が1時間以上怒り続けると

その呼気中の毒素はおよそ80人を死に至らしめることが出来る量だそうです。

 

ただし、研究時の環境や被験者などによる誤差も考えられる為

いまだ確証にはいたっていないようですが、

当時の研究では上記のような内容が報告されていたようです。

 

現在の科学的な推測によると、

感情によって何らかの形で体内毒素が呼気に含まれる可能性が考えられ

その毒素として一番の可能性が高いのは「ノルアドレナリン」。

ノルアドレナリン」は怒りの感情で分泌される脳内毒素で、

怒り続けるとこの分泌物のせいで病気や老化の原因になるといわれています。

また、自然界に存在する毒としてはマムシの毒に次ぐ毒素で、

あながち無視できない可能性を秘めているともいえます。

逆に、プラス思考の状態では「モルヒネ」が分泌され、

体調の向上や自然治癒力の向上、老化防止につながっているといわれています。

 

まさに

「毒を吐く」は、

揶揄したものではなく実際に毒を吐いていたわけですね〜。

 

怒りをぶつけられる側は

怒りの感情と共に発せられる言葉による不快感だけではなく、

同時に出されている毒性成分に対してもリアルな危機感を

感じていたのかもしれませんね。

 

時には猛毒ともなる人の「言葉」。

昔の人は感じ取っていたのかもしれません。

 

実は人にとって大切な食事も

時には毒にも薬にもなります。

 

食事も口から入るものです。

病気になるのも治すのも全て口から始まります。

 

 「病は口から入り禍は口から出る」という諺の通り

感染を除くほとんどの病気は食べ物が原因で起こるものです。

 

食べ物は体を作り出すただ一つの材料です。

家を作るときと同様、

 材料や手順、そして方法が悪ければ、

完成してゆくものの質が悪くなるのは当たり前です。

 

赤ん坊が大人になる過程で必要な材料は食事だけなのですから、

人間の体も全く同じことが言えるはずです。

 

そして口からよく出るのは「禍」(わざわい)。

これにはあえて説明はいらないでしょう。

 

昔の人は経験で目に見えない何かを

感じていたのでしょう。

 

杉本

 

医学の研究そして科学の研究とは

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

初心者、または未経験者用の内容ですので

そのつもりでご一読下さい。

 

日々進歩を続ける医学や科学ですが、

もちろんのこと末端の研究者ひとりひとりを基礎とした

本当に微細で膨大な作業の積み重ねがもたらすものです。

 

 その研究、

一般的に認識されている医学や科学の研究に対して

無意識に受け取っているイメージはおおよそ間違っています。

 

分かっている方が多いのも確かなのでしょうが、

イメージや先入観は、研究の専門家以外ではほぼ間違っていると言えます。

 

何気なく聞き流している「科学の研究」や「科学の実験」というと

一般的には初等教育に相当する『理科の実験』のようなイメージではないでしょうか。

 

テレビのワンシーンで見かける、

白衣を着た研究員が顕微鏡をのぞいていたり、

液体の入った試験管を眺めている姿などがありますが、

この風景で行われている内容には目的に応じて様々な側面があり、

学校で教えてもらえるような、教科書のある実験とは違います。

 

本格的な研究や実験と『理科の実験』とは、全く異なります。

異なるという表現も適切ではなく、

そもそもがその内容も目的も全く違うものなのです。

 

説明します。

一般的にイメージされやすい『理科の実験』と呼ばれる学校で習う研究、

実験行為というのは、すでに結果の出ている現象に対する確認作業です。

全ての手順や使用されるもの、反応から結果までがすべて前提に用意されていて、

その手順を忠実に反復することで起こる現象や科学作用を確認する事です。

学校で習うものはすべてが教師などの指導の下、先人がすでに実証していることを

既存の文献を元に履修しているだけなのです。

 

結果の出ている、結果のわかっている事象の確認作業なのです。

わかりますでしょうか?

 

これに対して本来の「科学的な実験」や「医学的な研究」というのは、

未だ確認できていない未知の領域に対しての可能性の模索であり、

わからないことを試す作業なのです。

計算上や理論上でしか導き出せない事象に対して、その事象を現象として

本当に起こるものであるのかを実際に試し、確認する事を目的にします。

 

大きな違いは、

結果も現象も結論もわかっていることの手順を繰り返してみることと、

架空の定義を実際に実践することによって理論が正しいものなのか

チャレンジしてみること。

前者は手順と内容さえ間違わなければ結果はわかっていること。

後者はやってみなければ何もわからないこと。

 

未知の研究や、可能性に関しての実験は甚大な危険性を伴いますので

学校程度では絶対に行うことは出来ません。

 

 

私個人的には

学校の「科学の実験」は、実際にやってみて見る為の

科学の実見』と書くべきだと思います。

 

 

 

本来の「科学の実験」「研究」に関しては、

非常に多くの時間とお金がかかります。

 

まず現存の理論と現象に対してそれらを応用し可能性を模索します。

一つの可能性が導き出されれば、考えられるだけのケースを想定し、

ひとつひとつを試して確認して行きます。

分子原子ひとつのレベルでの違いを修正しながら

出来うる限りの組み合わせ、変化を綿密に試行錯誤します。

 

理論がひとつ失敗しても、

その理論のなかでの配分や手順などすべての要素を微量に変化させ続け

理論に到達できるように模索を続けるわけです。

 

考えることができる限界に到達した時点でその理論は一旦失敗に終わりますが、

その可能性の幅は実に天文学的な数字です。

試さなければいけない事がほぼ無限にあり、

膨大な時間が必要になるのです。

 

これらのことを逆に考えると、

わからないことの方が多いのが自然であって、

わかったことに関して非常に重要な発見であるといえます。

 

にもかかわらず、

わからないことを否定的に捉える方が視野の狭い考えで

分かっていることがすべてであるという考え方は

非常に偏った考えであるとういうことが言えるのです。

 

栄養成分や薬理作用については三分の一、

そして人間の身体のメカニズムについては

厳密には1割程度しかわかっていません。

 

国レベルの認識でもそのていどなのですが、

決まりごとはそれが基準になり決められます。

 

だから未知のことや理不尽な出来事があった際には

誰かが負担を被る、被害者が存在する状況になるのです。

 

 身近なことに置き換えてみてください。

 

わからないこと、知らないことを否定することが

いかに滑稽であることか。。。

 

 

 

杉本

 

麻薬

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

前回の記事で「脱法ハーブ」について少し触れましたので

今回は薬物について少し説明します。

 かなり長いです(笑)

 

 

度重なる有名人による薬物問題。

世の中には「麻薬」と呼ばれる薬物が多数存在しています。

代表的には

覚醒剤』(アンフェタミンメタンフェタミン)、

『アヘン』(芥子の実から作る合成化合物:アルカロイド樹脂)、

『コカイン』(コカの葉から抽出するアルカロイド:局所麻酔薬、精神刺激薬)

『ヘロイン』(ジアセルチルモルヒネ:アヘンを原料としたモルヒネから生成する)、

そして認識が浅いのですが実は

モルヒネ』(モルフィン、モヒ:鎮痛・鎮静を目的とした薬剤)

も代表的な麻薬です。

続いて通称マリファナで有名な『大麻』(麻の葉を乾燥させたもの:嗜好品)、

THC』(テトラヒドロカンナビノール:向精神薬大麻樹脂の主成分)、

LSD』(リゼルグ酸ジエチルアミド、リゼルギン酸ジエチルアミド:幻覚剤)、

『MDMA』(メチレンジオキシメタンフェタミン:幻覚剤)、

があります。

 

近年、ニュースなどを賑わしている「脱法ハーブ」「危険ドラッグ」については、

もともとは『マジックマッシュルーム』の呼び名に代表されるような、幻覚作用を持つトリプタミンやアルカロイドのシロシビン、シロシンを含む菌類キノコがきっかけで、法規制の及んでいない植物系のソフトドラッグが一般流通したことに起因します。主に流通?でイメージ的にも有名な場所は海外のリゾート地などで、規制のない海外での使用が多い認識があり、もともと密かに日本でも一般的に販売されていましたが、あまり流行することもなく知る人ぞ知る位置付けでした。

薬物に関する規制が厳しくなるにつれて薬物使用のリスクが高まるなか、代替品として徐々に浸透したのが脱法ドラッグや脱法ハーブの類です。

規制薬物と同等もしくは近しい効果を得られるが、規制対象外なため使用に関して制限も規制もなかったので、瞬く間に浸透しました。

当然ながら薬物販売には当たらないために、専門知識を有さないまま安易に販売する個人業者も激増しました。

 

 そういったことを背景とした

使用者の問題行動や様々な事件をきっかけに規制が広がり、

どんどんと使用される成分などが規制となっていきますが

実状は「いたちごっこ」と呼ばれる状態です。

 

 まず、脱法ハーブとは

合成カンナビノイドを含有する化合品で、

大麻の薬理成分である「THC」(テトラヒドロカンナビノール)

の効果を模倣し、カンナビノイド受容体に対する作動薬(アゴニスト)

として作用します。アゴニスト(作動薬)とは、 

 生体内の受容体分子に働いて、神経伝達物質やホルモンと同様の働きを

示すものを指します。

 

おかれる立場としては未だ非常に曖昧で、

医薬品ではなく食品でもなく食品添加物でもないが

無許可無認可の医薬品として規制の対象となります。

人体使用目的に関して販売がなされていれば薬事法で取り締まり出来ますが、

基本的に脱法ハーブ販売者は芳香剤などとして販売されるケースが多く、

人体適用を標榜していないため医薬品としての相当性を立証するのが

非常に困難なのが現状です。

 

また、依存性や有害性も厳密には証明されていないばかりか、

薬物規制において最も重要な分子構造上の指定や規制といった部分で

先に述べた『いたちごっこ』の状況を作り出してしまっています。

 

厚生労働省は2001年より本格的に、

脱法ドラッグ、脱法ハーブの疑いがある製品について買い上げ調査を始め、

指定薬物や医薬品成分の検出されたものについて製品を公開したり

人体への影響が考えられるとする新しい成分への指定をしていますが、

分子構造上の微妙な変化などによって指定を外れるものが次々と現れ

実質的には、規制 → 変化 → 規制 → 変化の繰り返しになっています。

 

ただ、それと同時に

元来の分子構造に酷似した成分を用いて法規制を逃れたものの中には、

そのわずかな変化によって働きが違うものも含まれるようになるばかりか

本来のドラッグのような目的からは大きく逸脱した人体影響を及ぼすものまで

安易に用いられるようになり、その結果予期せぬ異常行動などにつながり

ニュースを賑わすような事件に発展するケースも多くなってきました。

 

この点については通常の医薬品と同じような問題を抱えているのですが、

通常の医薬品の場合は臨床試験や安全性の面について

しっかりと検証が行われていますので、現れる効果や影響などは

脱法ハーブやドラッグのように逸脱するものではありません。

 

脱法ハーブやドラッグなどは、分子構造上の類似を前提にして

法規制外のものをある程度似かよった効果が出るであろうという

おおよその部分を含んで使用されることが多々あります。

 

医薬品との似かよった部分というのは、

規制や認可に関わる部分で、成分的な働きが原因として特定できなければ

どんなに高確率で特定の現象が起こっても規制には至らないという点です。

裏を返せば害や危険度の点についても、因果関係や作用の特定ができなければ

規制の対象として認めにくいといった点が指摘できるのです。

 

これは現在の食料品などに対しての偏った考えが生まれる原因ともなっていて、

 これほどまでに科学や医学が進歩したと公言する現代にありながら

病気が減らないばかりか増える一方で、さらには肥満や成人病といった

生活習慣と食生活を原因とする病気が増加の一途をたどっていることが

食事などに対して考えが偏っていて、普段の何気ない取り組み自体も

基本的には的外れな事が多いのだということも表しています。

 

食事に対する偏りと軽視の一番の原因は

科学と医学、そして法律への絶対の崇拝が挙げられます。

 

人間が生きるために毎日口にし、時には嗜好の対象でもある

絶対に欠かすことのできない食料品。

 

様々な研究では食品などに含まれる特定の成分の働きは多少わかってきても

野菜や魚や肉など原型のままで摂取した際のトータルでの含有成分の働きが 

正しくどのように人体に作用するのかまでは全くと言っていいほど

わかっていません。

 

あくまでも「〇〇という成分が✖️✖️という働きの中心を担っている」

ということだけです。

他の成分などと相互した場合にはどのように変化するのかという点については

まだはっきりとはわかっていないのです。

さらには摂取した個々の体質や体内環境の違いといった部分でも

同じものを同じ量摂取したからといって同じ結果にはつながらない

という部分も全くわかっていないのです。

 

ですから、巷で話題に上る「〇〇という成分が✖️✖️に良い」のフレーズで

〇〇を豊富に含んだ食品を積極的に摂取しても、

同時にその食品には原型を形成する様々な他の成分も含んでいますので、

目的としては〇〇の摂取であっても、その食品をトータルで

摂取していることに他ならないわけです。

 

そうすれば、他の働きなどを持った栄養成分や相互作用について

摂取した人に顕著に現れるのは当たり前の摂理です。

自分は〇〇だけを摂っているつもりで実は違う図式ができるのです。

食べている食事の中に〇〇が多めに含まれているだけで

食事自体は物質を構成するものをトータルでとっているのです。

そうすればこの時点で間違いなく偏りが発生するのですが、

当然ながら研究者でもなければわからないわけですから、

公式の情報だけを鵜呑みにし、過剰に盲信してしまうことは

残念ながら仕方のないことなのかもわかりません。

 

なぜ薬物から食品の話に触れたのかというと、

こういった基本となる理解に問題がある故に様々な規制や情報提供に

偏りだけが生じるといったことが言いたいのです。

 

現に、成分だけに着目してその作用について関係性が証明できなければ

その原因となる対象に対して良いとも悪いとも言えない状況で、

事象として問題が顕著に表れていてもその原因が特定できず

因果関係が証明できなければ注意喚起に止まってしまうのです。

 

食品や薬品において因果関係などに注目することについては

安全性の点からも非常に大切なことです。

しかし、裏を返すとその観点でわからなければ、

実際にいくら問題が見えていても何もできないことになります。

 

わかりやすい例としては少し角度が変わりますが

アジサイ」の毒性についての取り扱いがあります。

 

ある程度有名ではありますが「アジサイ」には中毒症状を起こす

毒性があります。

しかし、毒性成分は現代においても未だ明らかではなく、

毒性があること自体が特定できていないため

特定の指定には至らず注意喚起にとどまっています。

 

古くから、アジサイには青酸配糖体が含まれているとされていて、

半ば定説のようになっています。

アメリカで家畜の中毒例が元になっているといわれ、

アメリカノリノキ 「Hydrangea arborescence L」 という

アジサイの近縁種によって家畜に中毒症状がおこり、

その原因は 「hydrangin 」と名付けられた ”glucoside” と報告されました。

しかし、 hydrangin の構造が再研究された際に、

この化合物には青酸配糖体に含まれるはずの窒素を含まず、

植物一般に見出されるクマリン誘導体のウンベリフェロン umbelliferone

であることが種々の化学分析によって証明されています。

 

ウンベリフェロン(IUPAC名:7-ヒドロキシクマリン)とは、

主にココナッツやコリアンダー、セリ科植物などに生成される、

天然に広く存在するクマリン誘導体のことです。

クマリンとは、桜に代表される植物の芳香成分の一種でラクトンの一種。

芳香族化合物でバニラに似た芳香があり、苦味や芳香性の刺激的な味があり

シナモンのシンナムアルデヒドやコーヒーのコーヒー酸とともに

天然の香り成分として知られています。

 

要は、多く天然に存在する植物の成分としての認識で、

毒性についての明確な原因特定に至っておらず

毒性自体が未だ認められていないのが「アジサイ」の毒性なのです。

そういった状況の中で青酸配糖体説が一人歩きしてしまったといわれ

2008 年に発生した食中毒を機に、毒性成分が再検討されていますが、

未だ何もわかっていない状況が続いています。

 

京都薬大の研究者による研究で、

中国四川省アジサイの葉部・茎部の成分検索を行い、

新規青酸配糖体 hydracyanoside 類 6 種が報告されました。

しかし、これら青酸配糖体は京都産のアジサイ抽出物には含まれず、

品種によって成分・含量にかなりの差があるとの見解になり、

各地のアジサイから青酸配糖体の検出を試みた結果が寄せられたものの、

陽性・陰性どちらの結果も得られているため明確な特定には至っていません。

なお、ユキノシタ科ジョウザンアジサイ Dichroa febrifuga Lour 由来の

生薬ジョウザン(常山)の抗マラリア成分、

嘔吐性アルカロイドの febrifugine が

アジサイにも含まれているとの報告もあり、

このアルカロイド の可能性も指摘されていますが

これもやはり明らかではない状態になっています。

 

このように、

アジサイについても経験則的な部分もさることながら

研究結果自体が過去の研究結果や従来の常識に当てはまらないことも

一つの要因となること自体が非常に問題で、

分子原子のレベルで判断し、無限の可能性を研究する医学や科学が

未知のものに対する発見や例外的な現象に対して非常に閉鎖的で

柔軟性に欠けることも指摘できます。

 

未だ漢方や生薬について、

科学的には証明できないながら、様々な現象の起こりうるものに対し

無視できないレベルではあるものの公式に認めることはできないのも

一つの大きな問題です。

「〇〇を食べると100%✖️✖️になる」とわかっていても

その理由や原因がわからなければ100%に近い現象として

「✖️✖️になる」ことすら、「わからない」でいいはずなのに

完全に否定してしまうのが今の医学で、科学崇拝なのです。

逆に言えば認可されている薬の有効率はいくら高くても30%〜80%程度。

また、その有効率が高ければ高いほど薬品には必ず副作用、副反応があり、

この部分についても規制も何もなく、問題に関しては害に他ならないのですが

害が出た際の補償やケアなどは全くと言っていいほどされていません。

 

害があっても特別な規制のないものには何もできず

害がなくても法規制があれば取り締まりの対象になり、

それは害だけでなく有効な部分についても同様に扱われるのです。

全てが最終的に「法」でしか判断できない点が問題なのです。

 

ここにすでに大きな矛盾があるのですが、

法的に認められたものとそうでないものに関して

無条件に疑いを持たないことの方が問題なのです。

 

科学的な根拠がわからなければどんな実証があっても存在すら否定する。

だからかえって規制外薬物に対しての対応が後手後手になるのです。

 

前置きがかなり長くなりましたが、

麻薬及び向精神薬取締法の観点はこのような状況や発想が基本となるために

規制そのものがまさに「いたちごっこ」、

後手後手になる状態を生み出しています。

 

自分たちのための法律で結局自分たちの首がしまっていくのです。

こんな滑稽なことはありません。

 

 悪いものは悪い  良いものは良い

 

こんな簡単なことができなくなるような法律は

一体何のためにあるのでしょう。。。。

 

 

人間の世界から薬物(ドラッグ)がなくなることはありません。

それは人間が求めてきた部分だからです。

 

タバコやお酒だって、

脱法ハーブや薬物に負けないような状況を作ったり

結果的に酩酊状態が原因とした事件や死亡事故は

薬物に関係なく毎日のように起こっています。

 

ここには何ら規制を設けずに

一方では産業の助長を促しています。

 

出来事に着目すれば判断も容易いのですが

原因に関して法をあてはめようとするから

規制が及ばない状況が生まれるのです。

 

 薬物も食品も薬も、日常生活の多くがこのような状態で

矛盾と理不尽なことがたくさん存在しています。

 

違法薬物への依存についてはまたまったく別の問題ではありますが、

規制のあり方一つで、様々な事件も防げるのではないかと思います。

 

 

杉本