杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

子宮頸がん訴訟

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

過去の記事でも触れた「子宮頸がん」についての副作用問題で、

以下のようなニュースがありました。

<以下ニュース引用>

2016年3月30日、子宮頸がんの発症を抑えるための「ヒトパピローマウイルス(HPV)」ワクチンの予防接種による副作用を訴える女性たちが、国と製薬企業(「MSD」と「グラクソ・スミスクライン」)を相手取って、損害賠償を請求する集団訴訟を提起する方針を明かした。朝日新聞によれば、原告団に参加するのは、北海道から福岡までの10~20代の女性12人。今後、被害者約500人でつくる「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」と連携して参加者を募るという。薬害エイズC型肝炎に並ぶ大型薬害事件に発展する可能性がある。

本文は外部リンク⇨「子宮頸がんワクチン訴訟」で明らかになった「情報」と「制度」の不足 (新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース

 

記事の内容では、子宮頸がんワクチンの安全性についての情報不足や、

実際に起こりうる副作用の被害を受けた患者に対して

どのように向き合って行くかについて提言しています。

 

特に記事内について私個人も支持したいのは、

情報共有によっての過失責任を追及するのではなく

しっかりとした状況改善をかんがえるべきことであるといった点です。

 

この点では世界と日本とに大きな認識の相違があり、

日本国内では責任追及ばかりが先行し、結果的に責任逃れの

まさに状況の副作用が起こります。

 

この部分について、どれほどに安全性を証明していても、

どんな薬も100%では無いため、少なくとも数%以上の

副作用によってなんらかの被害を被る方がいます。

 

その、実際に存在している被害者に対する対応や措置が

今の日本の現状はとても杜撰であり未成熟なのです。

 

被害者に対する対応を行うこと=(イコール)過失を認めること

といった、まさに幼稚な発想が邪魔をするのが日本の発想。

そのせいで本当の被害者が泣き寝入りを強要されることも少なくありません。

 

確かに、被害を訴える中には、悪意を持って虚偽の申告をする者や、

無条件に金銭を目的としたクレームも存在します。

 

だからといって、訴える側にだけ事実の証明を求めて仕舞えば

医療に関する専門的な情報を必要とした場合には

本当の被害者までもが大きな壁に阻まれる結果になりかねません。

 

 

少し話が逸れますが、

医療業界のみならず、一般的なサービス業においても、

正当な商取引を大前提とするならば、

被害者側(提訴側)の主張に対しての正当な証明は

被害者側(提訴側)が関係書類等の用意をすることよりも

安価かつ容易であるとも考えることができると思います。

 

むしろ、正当性のある証明と、事象の是非をはっきりさせるには、

当事者双方が平等性のある方法での証拠提出が必要だと私は考えます。

 

日本の司法では、提訴側が事実関係についての証明を行わなければならず、

個人間では調停を用いた和解成立も比較的簡単ですが、

個人対企業となれば、個人の訴えに対して

企業側が重要なポイントについての情報の開示を拒むことができ、

弁護士を用いて情報開示を請求しても、請求の理由と正当性で反訴された場合、

その部分を証明することはほぼ不可能になってしまうため

結果的に決定打となる重要な証拠は入手できない状況となります。

 

ちなみに非常に特殊な例ではありますが、

企業に対して株主であったりといった閲覧権を用いても、

企業管理側は同様の理由で開示を拒むことができます。

 

またこの逆も存在し、

提訴する側が企業であった場合、企業の用意した資料に対して

その内容を否定することやその資料の無効性を証明することは

個人ではほとんど不可能です。

たとえ提出されたものが捏造されたものや虚偽のものであっても、

個人では本当に難しいのです。

 

わかりやすい例で言えば、

納税者は税金の使い道を知る権利を有していますが、

実際に情報開示請求を行っても知りたい情報は得られません。

本来であれば無条件で詳細までを閲覧できる権利があるのですが、

実際には細分化されたデータのピンポイントの閲覧は出来ても

関係する資料についてはそれぞれに対して開示請求を起こさなければならず、

結果的に莫大な労力と金額が必要になります。

また、それぞれの資料の関係性や、提訴した内容との因果関係を証明するのも

それぞれが別件となってしまうので、通常では物理的に不可能とも言えます。

異常なほど細分化されている理由の一つはそこにあります。

さらに言えば、本来は無条件で閲覧できる権利を持っているにも関わらず、閲覧や開示には必要性の証明がなければ開示する必要がないと認めている状態も違憲ではないかと言えます。

 

何が言いたいのかというと、

まず一つ目は、

薬害の被害を訴えた患者に対して、使用した薬物と副作用にとの因果関係の証明は

個人のレベルではまず不可能であるということ。

次に、

病院や関係機関が証拠を保有している可能性があっても、

それを開示させる方法も、証拠の有無の証明をさせる「悪魔の証明

についても不可能であること。

そして最後に、

事象の原因追求における事実認定を前提とした証拠には言及せず、

当事者間での提出物を原因とした議論にのみ止まっていること。

 

これらの状況を司法判断の場を持ってもまかり通していることは

民主主義国家として疑問を感じます。

 

かなり脱線しましたが、結論から私の意見を言うと

薬害問題の訴訟では、原因とされる薬の詳細なデータと

根拠となるデータをもとにして、薬の状況を100%にし、

その際においては関係する資料の提出を制限することなく

きちんと明らかにした上で議論を行うべきであるということです。

薬の安全性が証明されていて、それを根拠に患者の訴えを退けるならば、

証明段階の資料のみで判断するのではなく、

様々な可能性に言及した根拠についても論じるべきです。

その上で、薬害に発展する可能性や因果関係を精査すべきで、

「安全性証明書」を振りかざしてはねつけるばかりが

正当な議論でも、万が一の被害者への姿勢でも無いと思います。

 

病院や関係機関がトータルで真に正しい運営を行っているならば

どんな観点でクリアにして話そうとも正しい議論が行えるはずです。

 

実際に被害者がいる以上は、

きちんと向き合って真摯に協力して考えるべきだと

いつも思うばかりです。

 

 かなり長く脱線してしまい申し訳ありません。

 

 

杉本