杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

悪いイメージ「お米」

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

年々食べ物や栄養素についてのイメージや認識が変わります。

特にその時代に沿って販売の背景になるのですが、

このイメージ戦略ともいえる情報については本当に虫唾が走ります。

 

過去の記事でも何度も触れていますが、

身近にある食べ物やサプリメントなどに対するイメージや印象が

とても偏っていることを考える人はあまりいないのも残念です。

 

私個人が最近特に気になっているのは、

「お米」「塩」の二つに対して。

 

まず、テレビのコマーシャル等の多くで

「お米=糖」 としてイメージが先行していませんか?

糖と言うのは「糖質」「糖分」とも異なる解釈があり、

糖=ではないのです。

 

なぜ「お米」がイコールで「糖=糖分・糖質」として扱われているのか

全く理解が出来ません。

 

そのイメージのせいで、ダイエットの敵や糖分=砂糖としたような

安易で浅はかな考えを持つ人が本当に増えています。

 

炭水化物云々。。。といった考え方も問題で、

炭水化物と一口に言っても、その含有成分は糖だけではありませんし、

摂取に関してもきちんとした働きがあってその役割もあるのです。

炭水化物を限りなく減らす人が多くなった現代ですが、

過剰に減らし過ぎると以下のようなデメリットが発生します。

 

・ 脳が栄養不足となるので、ボーッと したり集中力が続かなくなる
・ 肝臓に貯えられた糖質が分解され、 肝臓機能が低下する
・ 体内タンパク質が分解され、疲労が たまりやすくなる
・ 体内のPHバランスが崩れて血液が酸 性に傾き、「ケトアシドーシス」という昏睡状態を引き起こす。

 

など、あまり急激に炭水化物の摂取量を減らすと、デメリット が大きくなります。

どうしてもダイエットに低炭水化物を用いたい場合でも、1日の摂取量を通常の1/2~ 1/3程度、90~150g程度に抑えるようにしましょう。

 

上記のデメリットでは単一の影響だけに触れていますが、このデメリットによって第二、第三の二次的なほかの影響も懸念されるのです。

例えば、肝機能が低下することによって他の臓器への負担も大きくなり、結果的には違う病気や症状の原因にもなりうるわけです。

 

また、ダイエットとして炭水化物の摂取を抑える最大の理由は

「運動しない」「動かない」ことが一番の理由なのです。

 

適度な運動を前提としたダイエットの場合は、必ず一定量以上の炭水化物が必要になります。体の燃焼には必ず必要なものなので、摂らなければ燃えません。

燃えなければ消費されないわけですから燃やす作業をしない人にとっては不要になるといった考え方が成り立ってしまうわけです。

さらに言えば、炭水化物を限界までカットして適度な運動を行えば、常に不足の状態が作り出せるためダイエットだけにとっては非常にメリットが大きくなります。

これを逆に利用して短期間でダイエット効果をあげることも出来ますので、そういったプログラムで短期的な効果を挙げる商売が成り立つわけです。

 

しかし、この方法では間違いなくリバウンドします。

同じカリキュラムを一生涯続けることは不可能だからです。

 

もしも続けてしまえば、先にあげたデメリットをはじめとした弊害によって体内機能が維持できなくなってしまいますので、必ずどこかでやめなければいけなくなるような体調不良を発症してしまうのです。

 

きちんと栄養を摂って、きちんと運動して、きちんと代謝のバランスを整えることが本来最も健康的な方法なのですが、その方法には強い意志と精神力が必要になる為、

運動せずに楽して痩せたい人には「強制」しか方法がなくなるのです。

 

人間が毎日きちんと食事をして、毎日きちんと運動することが、これほどまでに難しいことだという現代には、そもそもの根本的な意識改革が必要なのだと思います。

 

車のメンテナンスや、様々な機械などのメカニズムを見れば一目瞭然で、車であっても毎日エンジンをかけて一定以上動かしてやらなければすぐに調子が悪くなります。

機械も同じです。

こと、いまだ科学的にそのメカニズムも解明されていない人間の体においては、なおさらそういった管理は必要になることは言うまでもないことなのです。

 

車が走る為にガソリンを入れますが、このガソリンがまがい物であったり純度の低いものだったりした場合、車は走るかもしれませんがエンジンへの負担も大きく寿命だって縮みます。少し高くてもハイオクを入れ続ければ、結果的に燃費もあがりますしエンジンへの負担も軽くなります。トータルでのコストパフォーマンスも向上するのです。

ただし、これはあくまでも毎日きちんとエンジンを回してやることが前提で、殆ど走らないような状態でどんなに上質のガソリンを満タンにいれっぱなしにしていても、どんどんとタンク内で劣化したり気化したりしますし、入れっぱなしの状態にしていてもエンジンをかけなければ殆どその状態も肝心のエンジンには関係なくなります。

そして、車にとっての血液ともいえるオイルについても同じです。

エンジンをかけてオイルを循環させてやることで本来のパフォーマンスが出るのであって、飾ったままではオイルも劣化しますしオイルがよどんできます。よどんだオイルによっていろいろな所が負担を受け、たまにかけたエンジンでよどんだオイルを無理やり循環させるような状態になる為にあちこちに対する負担も大きくなります。

 

人間の体も同様で、ある程度毎日一定の運動に対して必要な食事や栄養素も、たまにしか動かない体には負担でしかありません。

どんなに栄養のあるものを摂取しても、使わなければ意味がないのです。

 

最初に話した部分を照らし合わせると、たまにしか走らないしあまり使わないから限界まで少なく給油して、さらには一定のパフォーマンスも必要ないからそれほど良いものを使う必要がないと、エンジンを回転させる為に必要な最低限の成分しか含まないような薄めたガソリンを使用していれば、一見効率よく車を使用しているように見えても、じつはエンジンやそのほかの機能に対して莫大な負担をかけているだけになるのです。

見た目は使わない分汚れません。エンジンだって足回りだって、使わないからきれいなだけで中身はどんどんとその機能を失ってゆくのです。

これが正に現代のダイエットの発想です。

 

見た目はきれいで中身はボロボロの状態を、楽だからといって効率と勘違いしてさも優れた方法のように取り入れ、結果的に長期間で維持できずに塗り替えたり買い換えたりしなければいけないような状態にしてゆくのです。壊れてから気付くのです。

 

本当はしっかりと代謝して、使って、使う機能を育ててゆかなければいけないのです。

機械や車は簡単に部品交換もメンテナンスも出来ますが、人間の体はそう簡単に交換も修理も出来ないのです。

なぜならそれは人間の体の外から中までの全ての細胞が「生きて」いるからです。

 

過去の記事で紹介したように、人の体の働きというのは職場の人間環境に対する考え方と同じなのです。たくさんの役割が連動してひとつのことが出来上がってゆくのであって、何かひとつだけがどれほどに優れていてもそれは単に偏っているだけで周りには負担しかなくなってしまうのです。

職場ならば優れた者が他を補ったりお互いをフォローしあったり出来ますが、人間の体はひとつの役割に対してひとつの効果しかないので、特にバランスと影響を考えなくてはいけません。

 

 

おさらいとして、

ガソリンを食事に例えた場合、100リットルのタンクを持った車が日常生活として毎日50リットル消費するとします。そうすれば毎日50リットルの給油で満タンになり事足ります。このときに、毎日50リットルしか使わないのに、毎日60リットル、80リットルと給油をすれば、当然タンクはいっぱいになってあふれ出てしまいます。

想像して頂いて、もしもタンクや車体が風船のように膨らむなら、給油でオーバーした分はあふれずにどんどん膨れ上がります。厳密な体のメカニズムとしては大きく異なりますが、極端にはこれが人で言う所の脂肪を蓄えて太るということに近い状態です。

 

風船のように膨らむなら、いずれ限界が来て破裂しますが、人間の体の場合はそういうわけにはいかず、いろいろな不具合と共に徐々に様々な所が壊れていきます。

また、人間の体はそのオーバーした分をどうにかしようと一生懸命にいろんな機能がフル稼働するので、様々な箇所に負担がかかるだけでなく、他に担った役割の部分にまで影響してしまい、全く関係ない病気の原因にまで発展することもあります。

 

そして、ガソリンに例えるとたった一つしかイメージできない役割ですが、食事というのは内容とバランスがとても重要で、お腹が減ったから食べるとか、生きる為だけに必要だとか言う単純なものではありません。

 

摂取した栄養素の働きや、他の機能の働きを助ける為に必要な成分など、炭水化物ひとつとっても、糖分だろうが塩分だろうが必要なものなのです。

偏ったイメージや短絡的な情報だけを鵜呑みにして安易に考えることがとても危険なことで、実際にその弊害によって病気になったり突然死を迎えるケースも増えています。

 

食べ物や栄養素というものは手に入る情報だけに収まらない重要な要素があることを理解してほしいものです。

 

次は「塩」についてお話します。

 

 

杉本

紅豆杉とは

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

ご存知の方も多いのですが、

私の会社に「紅豆杉」(こうとうすぎ)というものがあります。

今日はこの「紅豆杉」について少し詳しくお話します。

 

まず、「紅豆杉」とはなにか。

雲南紅豆杉>(うんなんこうとうすぎ)という、中国南部は雲南省

標高4000メートルの高地に自生するイチイ(一位)科の天然植物です。

平均的な幹の周囲は5.6メートル、高さが21メートルの巨木です。

樹齢は平均でおよそ3000年です。

漢方医学の世界では門外不出の宮廷薬とされ、歴代王朝の王族だけが服用を許される薬木でした。近年の研究により医療用として日本とアメリカの2ヶ国限定で輸出が解禁されました。

 

この「紅豆杉」の医療用利用では、まず抗がん物質を含有していることが発見され、その物質を短離した「タキソール」を科学培養によって合成し、抗がん剤としてアメリカで認可される「タキソール」、フランスでの研究結果により合成が可能となった「タキソテール」として世界100ヶ国以上の医療現場で使われるに至っています。

 

日本国内では、京都大学富山大学北里大学、金沢医科大学、神戸薬科大学の各専門家を中心に補完医学研究会が結成されており、ガン研究の最前線では、癌細胞のアポトーシス誘導(※1)の状況が電子顕微鏡の映像として世界初の発見報告としてガン学会でも報告されており、その働きの科学的な根拠にも常に注目されています。

(※1:アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死(狭義にはその中の、カスパーゼに依存する型)のこと。 ネクローシス(necrosis)の対義語として使われる事が多い。記事中のアポトーシスは紅豆杉の働きにより癌細胞への栄養供給を阻害することで癌細胞が飢餓状況による自然死状態を作り出すことにより負担のない細胞死を誘導することを指す。自然死した癌細胞は被験者の持つ貪食細胞(マクロファージ)によって捕食される為、自然な体内機能として癌細胞を除去、減少することができる画期的なメカニズムである。)

 

 

「紅豆杉」は中国政府の管理下にあり、中国では“中華人民共和国野生植物保護条例”に基づき、国家1級保護植物として政府の許可なく伐採を禁止、その上で樹齢とその希少性、そして何よりも医療用としての絶大な効能と可能性を背景に、中国政府は現地の山岳民族の協力を得て植林事業を行っています。また、ワシントン条約第二類対象品種に指定され、国際条約によっても取り扱いを規制されているものでもあります。

 

過去の植林事業が功を奏し、絶滅を回避すると同時に一定量の伐採と供給が可能になったことで、中国政府は研究推進を大前提の目的とし、外貨獲得のために日本とアメリカの2ヶ国だけに限定輸出を許可しました。この許可の背景には研究によって次々と明らかになる薬用効果の高さと、未解明な部分に関する可能性の高さに脚光が当てられ、解禁が強く求められたことがあります。

 

天然の動植物には多くの有効成分が含まれています。

しかし、その利用の多くは有効成分だけを取り出し化学合成したものばかりで、本来の姿をしていません。また、動植物を構成する中には有効成分のほかにもたくさんの超微量物質などが含まれており、それらが相乗的な作用によって効果を生み出していることが研究によって明らかになっていく反面、最新技術を以ってしても非常に複雑な物質の構造や相乗作用の神秘は殆ど解明されてないに等しいのです。

その結果、薬の中にも生物(植物・動物・菌類)の力を借りなければいけないものも多く存在します。

現在の科学や医学の研究では多くの生き物には生きる為にその命を支える特殊な生物活性物質を体の中に豊富に持っていることまではわかってきたものの、それらを本来の形で活用する方法もわからないばかりか働きそのもののメカニズムも未だわかっていないもののほうが多いのが現状です。

 

紅豆杉は、最も注目されるガンだけでなく、ガンとも関連が強く指摘される「糖尿病」への効果が非常に高いことが近年の研究で挙げられています。

糖尿病への効果については多くの医師が指摘していますが、ここではあえて簡単にご紹介すると、紅豆杉による体内炎症物質調整作用がもたらすインスリン効果の安定化をはじめ、膵臓の修復機能、血中バランスの正常化、ビタミン群の働き向上など、様々な関連が挙げられ、実際に多くの患者さんの改善例が報告されています。

 

様々な可能性に対して次々と結果を出している「紅豆杉」。

 

 

最後にこの「紅豆杉」に関する注意点ですが、

1、インターネット販売は禁止されている。

2、通販や割引販売も基本禁止されている。

ため、

年間利用を前提にして、紹介販売などによる大幅な割引販売を行っている会社もあるようなのですが、基本的に販売を目的とした条件設定としての値引きや割引は一切禁止されています。

また、担当の販売員などとの直接のやり取りが行われない中でのインターネットや通信販売を利用した販売方法も禁止されていますので、インターネットなどで安易に安価なものを発見しても、内容によってはニセモノや違反取引の可能性があるため、まずはしっかりと販売店などで直接話をしてから、きちんと判断されることをオススメします。

 

ちなみに私の会社での「紅豆杉」の取り扱いいに関して、

大前提として一度面談をお願いしています。

むやみに初回からの電話やメールでのご注文にはお応えしておりません。

 

また、補完医学研究会のメンバーとも随時直接やり取りを行っております。

バックアップしてくれる医療機関を背景に、出来うる限りご相談に来て頂いた方々のお力になれるように留意しておりますので、十分にお話いただきご納得して頂いた上でのご利用をお願いしたいと思います。

 

実際にご利用いただくか否かはしっかりとご判断にお任せいたしますが

そこまでもそこからも、精一杯ご尽力させて頂くようスタッフ一同努力しております。

 

どうぞご相談だけでもご遠慮なくご利用ください。

 

杉本

 

子宮頸がん訴訟

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

過去の記事でも触れた「子宮頸がん」についての副作用問題で、

以下のようなニュースがありました。

<以下ニュース引用>

2016年3月30日、子宮頸がんの発症を抑えるための「ヒトパピローマウイルス(HPV)」ワクチンの予防接種による副作用を訴える女性たちが、国と製薬企業(「MSD」と「グラクソ・スミスクライン」)を相手取って、損害賠償を請求する集団訴訟を提起する方針を明かした。朝日新聞によれば、原告団に参加するのは、北海道から福岡までの10~20代の女性12人。今後、被害者約500人でつくる「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」と連携して参加者を募るという。薬害エイズC型肝炎に並ぶ大型薬害事件に発展する可能性がある。

本文は外部リンク⇨「子宮頸がんワクチン訴訟」で明らかになった「情報」と「制度」の不足 (新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース

 

記事の内容では、子宮頸がんワクチンの安全性についての情報不足や、

実際に起こりうる副作用の被害を受けた患者に対して

どのように向き合って行くかについて提言しています。

 

特に記事内について私個人も支持したいのは、

情報共有によっての過失責任を追及するのではなく

しっかりとした状況改善をかんがえるべきことであるといった点です。

 

この点では世界と日本とに大きな認識の相違があり、

日本国内では責任追及ばかりが先行し、結果的に責任逃れの

まさに状況の副作用が起こります。

 

この部分について、どれほどに安全性を証明していても、

どんな薬も100%では無いため、少なくとも数%以上の

副作用によってなんらかの被害を被る方がいます。

 

その、実際に存在している被害者に対する対応や措置が

今の日本の現状はとても杜撰であり未成熟なのです。

 

被害者に対する対応を行うこと=(イコール)過失を認めること

といった、まさに幼稚な発想が邪魔をするのが日本の発想。

そのせいで本当の被害者が泣き寝入りを強要されることも少なくありません。

 

確かに、被害を訴える中には、悪意を持って虚偽の申告をする者や、

無条件に金銭を目的としたクレームも存在します。

 

だからといって、訴える側にだけ事実の証明を求めて仕舞えば

医療に関する専門的な情報を必要とした場合には

本当の被害者までもが大きな壁に阻まれる結果になりかねません。

 

 

少し話が逸れますが、

医療業界のみならず、一般的なサービス業においても、

正当な商取引を大前提とするならば、

被害者側(提訴側)の主張に対しての正当な証明は

被害者側(提訴側)が関係書類等の用意をすることよりも

安価かつ容易であるとも考えることができると思います。

 

むしろ、正当性のある証明と、事象の是非をはっきりさせるには、

当事者双方が平等性のある方法での証拠提出が必要だと私は考えます。

 

日本の司法では、提訴側が事実関係についての証明を行わなければならず、

個人間では調停を用いた和解成立も比較的簡単ですが、

個人対企業となれば、個人の訴えに対して

企業側が重要なポイントについての情報の開示を拒むことができ、

弁護士を用いて情報開示を請求しても、請求の理由と正当性で反訴された場合、

その部分を証明することはほぼ不可能になってしまうため

結果的に決定打となる重要な証拠は入手できない状況となります。

 

ちなみに非常に特殊な例ではありますが、

企業に対して株主であったりといった閲覧権を用いても、

企業管理側は同様の理由で開示を拒むことができます。

 

またこの逆も存在し、

提訴する側が企業であった場合、企業の用意した資料に対して

その内容を否定することやその資料の無効性を証明することは

個人ではほとんど不可能です。

たとえ提出されたものが捏造されたものや虚偽のものであっても、

個人では本当に難しいのです。

 

わかりやすい例で言えば、

納税者は税金の使い道を知る権利を有していますが、

実際に情報開示請求を行っても知りたい情報は得られません。

本来であれば無条件で詳細までを閲覧できる権利があるのですが、

実際には細分化されたデータのピンポイントの閲覧は出来ても

関係する資料についてはそれぞれに対して開示請求を起こさなければならず、

結果的に莫大な労力と金額が必要になります。

また、それぞれの資料の関係性や、提訴した内容との因果関係を証明するのも

それぞれが別件となってしまうので、通常では物理的に不可能とも言えます。

異常なほど細分化されている理由の一つはそこにあります。

さらに言えば、本来は無条件で閲覧できる権利を持っているにも関わらず、閲覧や開示には必要性の証明がなければ開示する必要がないと認めている状態も違憲ではないかと言えます。

 

何が言いたいのかというと、

まず一つ目は、

薬害の被害を訴えた患者に対して、使用した薬物と副作用にとの因果関係の証明は

個人のレベルではまず不可能であるということ。

次に、

病院や関係機関が証拠を保有している可能性があっても、

それを開示させる方法も、証拠の有無の証明をさせる「悪魔の証明

についても不可能であること。

そして最後に、

事象の原因追求における事実認定を前提とした証拠には言及せず、

当事者間での提出物を原因とした議論にのみ止まっていること。

 

これらの状況を司法判断の場を持ってもまかり通していることは

民主主義国家として疑問を感じます。

 

かなり脱線しましたが、結論から私の意見を言うと

薬害問題の訴訟では、原因とされる薬の詳細なデータと

根拠となるデータをもとにして、薬の状況を100%にし、

その際においては関係する資料の提出を制限することなく

きちんと明らかにした上で議論を行うべきであるということです。

薬の安全性が証明されていて、それを根拠に患者の訴えを退けるならば、

証明段階の資料のみで判断するのではなく、

様々な可能性に言及した根拠についても論じるべきです。

その上で、薬害に発展する可能性や因果関係を精査すべきで、

「安全性証明書」を振りかざしてはねつけるばかりが

正当な議論でも、万が一の被害者への姿勢でも無いと思います。

 

病院や関係機関がトータルで真に正しい運営を行っているならば

どんな観点でクリアにして話そうとも正しい議論が行えるはずです。

 

実際に被害者がいる以上は、

きちんと向き合って真摯に協力して考えるべきだと

いつも思うばかりです。

 

 かなり長く脱線してしまい申し訳ありません。

 

 

杉本