杉の坊のつぶやき

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豊臣秀吉の戦略に学ぶ

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

GWも終わり、今現在の社会の状況は

まるで収束が見えてきたかのような雰囲気が漂い始めています。

確かにこのまま収束に向かってくれる事は願っても無い事です。

ここからようやく2週間後の変化が、

はじめてひとつの方向性を生む事となると思います。

 

ここまでの社会と政府の状況を振り返ってみて

今回の騒動はなかなか経験できない騒動ですので

こういった有事の対応についての現政府や国民の動向など

歴史と照らし合わせると、似たように感じることも多く

様々な視点から歴史を学ぶ良い機会になっています。

 

やはり捉え方は人それぞれでしょうが、

私なりに少し気になる歴史の状況がありましたので

少し触れてみたいと思います。

 

 

タイトルにあるように、豊臣秀吉の歴史的戦略の中に

鳥取の渇え殺し」「三木の干し殺し」というものがあります。

 

当時の秀吉と黒田官兵衛鳥取城と三木城に対して行った

歴史に残る合戦で、このときに秀吉らが行った戦略が

非常に残虐な結果となったものです。

 

戦国時の歴史ですのでかなり残酷な内容を含んでいます。

苦手な方はご遠慮下さい。

 

合戦の内容や背景についての興味深い部分について

詳細をとてもわかりやすく説明したサイトがあります。

https://bushoojapan.com/bushoo/toyotomi/2019/09/04/69392

 

三木城よりも、より徹底された鳥取城攻めですが、

優れた戦略としての合戦の注目点を大まかにまとめると

・攻めの事前に周辺の地域から米を高値で買い占め。

 ※鳥取城側も武具を揃えるためにか高値につられてか

  なぜか城の備蓄米まで売ってしまう。

・城周辺の水上、陸上ルートを全て封鎖。

・包囲内側の集落などを攻め城に逃げ込ませる。

 ※約1500名規模の城に約2000人の農民を逃げ込ませ

  結果的に約1ヶ月で城の兵糧が尽きたらしい。

・城から逃げ出すものを銃撃で戻らせる。

・24時間体制で見張り圧力を掛け続ける。

・城から見えるところで宴会を開く。

 

おおまかには上記のような内容を使って

徹底的に兵糧攻めを行いました。

 

農民を追い込んで城の食い扶持を増やし、

兵糧(食料)が尽き飢えを起こさせ

城から見えるように宴会を開き挑発する。

 

当然ながら城内の人々の心は壊れていきます。

 

結果、食べ物の尽きた城内では、

「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」

信長公記にあるように地獄と化します。

 

包囲されてかやおよそ4ヶ月頃から飢餓者がではじめ

はじめは埋葬していたものの、完全に食べるものが無くなり

結果として鳥取城には日本史上、非常に稀である

“人肉食”の記録が残ることとなります。

 

子が親の死肉を食べ、弟が兄の死肉を食べ、

瀕死になればまだ息のあるうちから家畜を捌くが如く

ナタや小刀でバラバラにして食べたといった記録が残されました。

特に栄養価の高いとされる頭(脳)の部分が美味しいらしく

とりあいにまでなったそうです。

 

竹中重門(半兵衛の子)の『豊鑑』には、

このときの様子を

「糧尽きて馬牛などを殺し食いしかども,それも程なく尽きぬれば餓死し,人の宍を食合へり…子は親を食し、弟は兄を食し杯しける」

と記しています。

 

最終的に、そんな惨状を見かねたのかはわかりませんが、

城主である吉川経家が自らの命と引き換えに

城兵・村民の助命を確約し鳥取城攻めは収束しました。

 

しかし、

吉川経家の申し出を受け入れ、城兵・村民を許した秀吉は

生存者に大釜で粥を炊いて振る舞ったところ、

飢えでフラフラになった者達は目の前の粥を貪り食い、

多くの者が死んでしまったそうです。

 

飢餓状態の人々が粥を食べて死んだのは

「リフィーディング症候群(refeeding syndrome)」

のせいだといわれています。

慢性的な栄養不良状態が続いている人に対し

急激な栄養補給を行うことで発症する代謝合併症の総称です。

 

リフィーディング症候群の詳細については

上記のリンクに説明がありますので

本記事では割愛します。

 

 

鳥取城攻めには現代においても多くの学ぶ事があります。

あまり詳細に現代事象を引用して比較してしまうと

少し偏った表現にもなりかねないのでやめておきますが、

この記事をきっかけに鳥取城攻めの詳細などに触れて頂き、

歴史を知った上で現代を見るなどそれぞれの視点と発想で

色々と楽しめるきっかけとなってくれればいいなと思います。

 

 

 

個人的にひとつだけ。

攻められるとわかっていた鳥取城が、

戦になった際の篭城に必要な備蓄米を

なぜ売却してしまったのか?

本当のところはわかりません。

 

背景として諸説ある中、

秀吉は若狭から商船団を派遣し

非常に高額での米の買占めを行っていたそうで、

城内の状況や当時の重臣の心情なども

売却には大きく関わっていたようです。

 

ただ考え方によっては、

まだ実際に攻められていない危機感の薄い状況の中で

備蓄米がとんでもない高額で転売できる状況……

自分だけが儲ける為に結果的に敵方に協力する行動を取る者が?

といった発想もできなくはない状況です。

 

そう考えてしまうと

なんだかいつの時代も根元にあるものって

おなじなんですかねー と思ってしまいます。

 

 

杉本