杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

仕事しながらできること

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

 

休業要請が拡大しそんな中でも「生活維持に必要」として

官公庁やスーパー、公共交通機関などで働く人は

感染リスクに注意しながら仕事に向き合っています。

そういった人たちはどのように感染を予防すればいいか

大災害や犯罪の現場で負傷者らを手当てする「病院前救護」を専門とし、

感染症対策にも詳しい防衛医科大病院の

関根康雅医師の意見が記事になっています。 

 

Yahooニュース

「休めない人たち」感染防ぐには? 医師に聞いた3つのポイント

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200501-00010008-nishinpc-sctch

 

非常に大切な部分だと感じたものを本文より引用しますが、

関根医師が対策を成功させる上で強調するのは

「危機意識の共有と互いを思いやり体調を気遣うこと」

「感染防止は災害対応に似て、みんなが同じ方向を向いて

取り組むことが大切。誰かに任せるのではなく、

一人一人ができることから始めてほしい」

 

 

今の社会の状況はウイルスの特性を考えるなら

会わない、浴びない、汚さない、触れない、

じっとしている事が感染拡大を防ぐ

ということとなります。

 

しかし、

仕事など、必要不可欠な動きはありますので

そのなかでどのように予防に気をつけるのかが

非常に重要になってくると言えます。

 

まず考えていただきたいのは

今回の脅威がウイルスの脅威ではなく

地震や他国の侵略など物理的なものであった場合

どのように動く事になるかです。

 

戦争状態では想像する事が非常に難しいので

東北のように大規模災害として記憶にも新しい

大震災だと考えてみてください。

 

多くの人々は、実際に震災に直面していなければ

テレビでその状況を見ていたことと思います。

 

直接的な被害のなかった人々は

家が流されていく映像を見ていたに過ぎません。

 

しかし、実際に震災の被害にあった人々は、

家も店も何もかも流され、交通機関も同様に破壊され

電気もガスも水道もなく途方にくれるしかない状況。

本当に明日からどうすればいいのか、

それよりもいま、今日この瞬間どうすればいいのか

この先どうなってしまうのか

何も考えることが出来ない状況だったと思います。

 

直面していない人は、大変だ、悲惨だと

同情など、人事として捉える事はできても

実際に自分自身の事として考える事は不可能です。

 

こうすればいい、ああすればいいと

対岸からいろんな事を考えることはできますが

実際の手助けになるような動きは実質不可能です。

 

たしかに

多くの人がボランティアで瓦礫の撤去に無償で駆けつけ

多くの人が募金など、できる事を実行しました。

 

被災した人々は

たくさんの人々がたくさんの身内、友人、知人を亡くし

生活の基盤も無くし、今生きていく方法すらわからない

そんな状況でした。

 

いまだに震災から立ち直れない人々がいて、

いまだに震災から最低限の生活をも取り戻せない

そんなひとがたくさんいます。

 

でも、

こういった言い方は適切ではないかも知れませんし

こういった意見は被災を軽視しているように

なってしまうかもしれませんが、

物理的な被害はなんとか人の力で動く事ができ

人の力で努力する事ができ

人の力が必要になる事は間違いありません。

 

しかし今回一番の問題はその対象が

「ウイルス」という、物理的ではない脅威です。

 

経済が、生活がといっても

人が物理的な努力をすればどうにかなる相手ではありません。

 

まさに未知の相手で答えも無く、

ウイルスの状況が人の動きに対して

いやらしく変化する可能性があり、

そこが非常に難しく厄介だからこそ

多方面での対応や対策が的を外れたり

難航したりしているのです。

 

何度も何度も書いていますが、

ウイルスの感染

という予測の出来ない脅威である以上、

軽はずみな行動や軽はずみな考えが

何処でどのように誰に対して脅威となるか

その判断が出来ないからこそ

ウイルスを拡げない、うつさない、うつらない

という部分でしか自衛が出来ないという

本当に難しい脅威と向き合っていると

自覚が出来なければなりません。

 

10年以上前に作られた映画に

コンテイジョン」というものがあります。

日本では「感染列島」というものもあります。

どちらもウイルスの発生からパンデミックを描いた

映画ですが、実に今のコロナ騒動を

予見していたかのような内容です。

 

人々の行動のどういった部分に感染リスクがあり

どういった考えがその蔓延を手助けするのかが

それなりにとても良く描かれています。

個人的に「コンテイジョン」は、

海外映画なので実感しにくい部分はあるかと思います。

それでも、映画の中の登場人物それぞれが

どのような感覚でうごき、それがどのような結果になるか

そういったイメージはしやすいかな?とは思います。

 

 

現在の新型コロナウイルス騒動について

少しでもウイルス特性についての観点から見る事ができるなら

一人ひとりができる事にはやはり限界がありますし

安易に通常の生活をイメージしながら状況を比較すると

とんでもない勘違いになります。

 

いま私たちに出来る事は本当に限定されていて

とても不自由ですし、実生活を直撃し

収入などの面からもすでに倒れることを

選択せざるを得ない人々がたくさん出てきています。

 

だからといって、

腹をくくって通常生活を送ろうとすれば

ウイルスの感染による自分だけでは

済まないリスクがあります。

 

自粛を続けていれば

余程のゆとりがある人や、

この状況でも影響の無い業態や業種のひと以外、

飲食業や日銭を積み重ねている人々にとっては

両面ではさまれてしまい

どちらを選択する事もできないような状況です。

 

工夫できる人や自分の状況を通常時から

変化させることが出来る人たちもいますが

やはり生活原資をそう簡単に変化させれるものではありませんし

変化させる事によって失われることも出てきます。

 

だからといって

背に腹は変えられない状況だからと

ひとりよがりな行動をしてしまうと

感染リスクがつきまとってしまいます。

 

この感染リスクに関して、

うつるうつらないに対してどうしても理解したくない

どうしても自分の事、人のこととして考えれないひとが

何かにつけては行動を肯定しようとします。

 

自分だけが怪我をする、

自分だけが命を落とす、

自分だけが苦しい思いをする、

自分だけが批判される、

なら

行動も考え方も自由でいいと思います。

 

理解してくれる自分の周りだけが被害にあう

それでもいいと思います。

 

でも、ウイルスの感染は

自分だけが納得して満足できるものと違い

望まない人へも被害を及ぼしたり、

自分は良かれと思って行動した結果から

とんでもない状況になる可能性がある

という部分があることを理解すべきです。

 

残念ながら自分はそんなつもりも全く無く

ただただ良かれと思っていたとしても

そんな気持を考慮してウイルスは遠慮してくれません。

 

気持や思いの面だけでなく

いま私たちに出来る事は限られている現実があると

ちゃんと理解すべきです。

 

社会や経済という実生活に直結した現実問題は

いまのリスクや脅威と両立が非常に難しく

どちらかを選ぶと言う事は

どちらかのリスクにさらされる状況です。

 

そのリスクをきちんと紐付けて考えるなら

ウイルスのリスクを回避するほうが

より現実的であると思うのですが、

冷静に天秤にかけて考えることが

難しいというよりもそれほどに切迫している

そんな状況なのだとは思います。

 

人のためだから我慢して

人のためだから動かない

その選択を世の中で求められている以上、

それらを反対することには

きちんとした誰もが納得できる理由が要る状況です。

 

はっきりいって

病気やウイルスに精神論や感情論を持ち込む事は

アレルギーにたいしてその症状の重度も考えず

食べれば治ると強制することほどに

愚かで無知で稚拙な考え方です。

 

軽度な人はかゆみや発疹程度で済みます。

これは無自覚無症状、軽度な発症で済む人とおなじですが

重度のアレルギーの場合、アレルゲンを摂取すれば

重篤な症状が出るだけでなく場合によっては死に至ります。

これはまさに重症化から死亡のケースと同じです。

 

いくら良かれと思って微量なら大丈夫だろうと思っても、

それはアレルギーではない人の無責任な思い込みと判断でしかなく、

アレルギーを持つ人にとってはたとえ微量であっても

命を奪われるかもしれない劇毒と同じなのです。

 

アレルギーも専門医によって様々警鐘が出されていて

散々そのメカニズムや症状などを説明していますが、

どうしても自分の考えを優先する人が絶えないので

当事者で無い無責任な素人考えは遠慮してもらいたいと

とにかく強くいっています。

 

万が一の時には無責任に押し付けて来た人の考え程度では

責任のとりようも無ければ、死に至らしめてしまった場合には

状況は取り返しのつかないことになるからです。

 

アレルギーにおける事件には

無責任な考えの人が本人は善意のつもりで

アレルゲンとアレルギー反応のメカニズムを無視して

「治してあげたかった」「助けてあげたかった」と、

まるで善意のように主張するケースがほとんどですが、

再三、まわりにダメだと、再三まわりにやめろと

言われていたにもかかわらず無視して強行し、

結果的に患者を死なせてしまったり、

重篤な後遺症を残すようなケースになっても、

それでも当の本人は

「この人のためと思って」という主張を繰り返します。

 

状況的にも誰が見ても、

内容はともかくとして責任を取れるような状況ではなく、

何よりもそのメカニズムを理解できない頭の構造に問題があり、

その構造が原因であってもまわりは必死に止め注意していて

どんなに思いやる気持が純粋であったとしても

絶対に許されるものではありませんし

結果的にどれほどの人に迷惑をかけて

ましてや命まで奪う結果になる状況は

感情や思いで判断できるものではありませんし

失われたものは戻ってきません。

 

自分の考えでは責任が取れない状況を生む。

 

結局は当事者で無い人の軽はずみで安易な考えは

危険を通り越して迷惑だということです。

 

 

 

かなり長くなってきたので一旦きりあげて

次の記事で紹介しますが、

感染症について理解する上で必要な

R-0(アールノート)、基本再生産数について

すこし今回の記事を紐付けて説明したいと思います。

 

 

杉本