杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する専門的な情報をお届けできるよう頑張ります!個人のつぶやきもあります

身体の作られ方

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

何気なく動いている身体。

母親の体から生まれ落ちてから

大人になるに向かって身体は大きくなります。

 

姿形や体質などもそれぞれ、

病気もそれぞれ、気温、味、匂いなど五感の感じ方や

運動能力の違いまでみんなバラバラです。

 

人間の身体がそれぞれの個性を持ちバラバラになるのか

きちんと考えたことはあるでしょうか?

 

人間は毎日の食事や環境によって身体が作られます。

人間だけではなく生きとし生けるものすべてそうです。

 

では、厳密に何故そうなるのか?

例えば家族などは同じ食事をとってほとんど似たような生活をしますが、

結果的には姿形は似ても体質や五感などは違うものになります。

罹る病気とかからない病気も違ってきます。

 

理由はとても深いものになりますができるだけ簡単に書きたいと思います。

 

まず、身体を作る一番の「材料」は食事です。

人は口から入るものでしか身体は作れません。

 

出来上がる内容には生活環境や習慣なども関わりますが

ここではあえて食事だけに焦点を当ててみます。

 

先に述べたように、人間の体は食べ物によって作られますが

その食べ物とは薬や物質ではなく、植物や動物といった

「生き物」です。

しかし人は意外と「生き物」を食べていると改めて考えないものです。

 

目の前にででくるもののほぼ全部が食べれるように加工されたもので

食べている本人たちは生き物の「命」を絶っていることは考えません。

 

牛や豚、鳥、魚、野菜、果物など、すべて「生きて成長したもの」なのです。

その命を奪って食材とし、料理になるのです。

 

〝生きていた〟食材も成長の過程では当然人間でいう「食事」に相当する

行動があるわけですが、植物ならば太陽光、水や土中の養分など、

動物ならば食物連鎖に代表する捕食があるわけです。

 

要するに他の生き物によってもたらされているわけです。

 

念を押しますが、植物も土中の養分となる昆虫や微生物が必要なので

結果的には他の生き物の恩恵を受けているのです。

 

話が逸れてしまうので本題にもどります。

要するに、我々が食べる食材となる生きているものも

人間と同じく食事をして成長しているのだということです。

 

どういうことかというと、

人間と同じで、すべての生き物はすべてが別の個体であり、

1つとして同じものはないということなのです。

 

牛や豚だけでも、牛には一頭一頭が違った個体で

人間と全く同じそれぞれの違いがあるのです。

 

植物もおなじで、農作物も同じ畑であっても1センチ違えばそこは違う土になり、

厳密には一粒一粒の土に宿る栄養素や養分もそれぞれ違うのです。

 

育つ環境と過程によってそれぞれが含有する栄養素までもが

ひとつづつ異なったものに育つわけです。

 

従って、栄養素などの表示に関しても

代表的に野菜や果物、肉や魚で種類ごとに栄養素が表示されていますが

あくまでもその種における含有平均量であって、

個体それぞれの正確な含有量ではないわけです。

 

自分が食べている実際の食材に、栄養成分表示上の

本来の成分がきちんと含まれているのかは

毎度検出しないとわからないのです。

 

そのため、日々の食事を一緒に摂っていても、

部位ごとに栄養素は異なりますし、調理の過程で大きく変化することにより

実際に摂取される栄養素は異なってくるのです。

実際に口に運ぶ部分が含んだ栄養素は異なるのです。

 

なので、同じ食事を摂る家族でも体質が異なって出来上がるわけです。

 

機械のように全く同じ形ネジや釘で構成されるものと違い、

体というのは摂取された栄養素を次の材料として体内で使われます。

 

食事で食べる食材のすべてに原子のレベルで働きと役割があり

そのレベルで個体差があるために摂取後の働きは当然異なる

ということに繋がるのです。

 

さらに、体は体を形成するためだけに摂取するのではなく

外界の情報を摂りこむ「学習」の役割も兼ねているのです。

 

身土不二」や「地産地消」といった言葉に表されるものがそこを指していて

人間は自分の周りに育つ生き物を食べるため、

その食べ物にはその人間が生活する実際の環境の情報が含まれています。

 

漢方やアーユルヴェーダなどの東洋医学のなかには陰陽の考えがあります。

簡単に言うとこれは漢方薬の原料となる植物や動物が持つ性質を指すものですが

その原料が育った環境に適応、順応する作用を有するという考えで

単純には、暑い場所では暑さに強い作用を持ち冷やしてくれる、

寒い場所では寒さに強い作用を持ち温めてくれるなどという考えです。

 

よく注目されているポリフェノールもここに属するといってもいいもので

植物が環境から身を守るために作り出す自己防衛物質と言われています。

 

一般的には「抗酸化物質」という認識が強いかと思いますが

ざっくりと酸化や劣化を防ぐ物質という意味でも自己防衛のための

大切な成分だと言えるでしょう。

 

ちなみに、あちこちで耳にするようになったポリフェノールですが、

その種類は300とも400とも言われ、いまだ科学的には明確に解明されていません。

 

世の中では

ポリフェノールが豊富」という文言が飛び交っていますが

実際にはどのポリフェノールがどれほど豊富なのかはわかっていないのが

ほとんどではないでしょうか。

もっといえば、ポリフェノールにも当然単体では働かないメカニズムが

あり、きちんとバランスよく摂らなければかえって害になることもあるわけです。

 

代表的には過去に何度も記事にしましたが「カテキン」。

高濃度のカテキンを謳い文句にした商品がでています

おさらいになりますが、カテキンだけを高濃度で摂取することは危険で

重篤な肝機能障害や腎機能障害の可能性があることが報告されています。

 

これらをふまえて表題に戻りますが、

要するに人間は何気無く摂る食事の中から、栄養素だけではなく

身体を作る材料とともに、体に宿る機能のための情報もとりいれているのです。

 

ここから少し複雑になります。

 

家畜や野菜を育てる際、野菜や家畜を甘やかせて育てれば

その環境の情報がその野菜や家畜に刻み込まれます。

 

温度管理され外界と隔てられ、良質な土や水で育つ野菜は

遺伝子情報的な基本の姿形や含む内容は一見一緒でも

その内容がさらに含む情報はあくまでも育った環境のものです。

 

完全に殺菌抗菌の無菌状態で育てた野菜は

敵のいない状態なので、身を守る必要のない情報となるのです。

家畜も同様です。

 

先ほどのポリフェノールの話でも触れたように

外界の厳しい環境から身を守るための物質を作り出し

それによって外界の環境に適応する能力とするのが

本来の生き物の姿なのであって、

綺麗なところで作られる綺麗な野菜は

あくまでも綺麗なところでしか生きられない能力しか

持ち合わせていないのです。

 

今の世の中では、通常では考えることのできないような

特別な環境で特別な材料でつくられた見た目の綺麗な野菜をありがたがります。

 

確かにその野菜は安心で安全かもしれません。

でもそんな情報や能力しか持たない野菜を食べていれば

結局はその野菜が育つような環境にしか適応できなくなるのです。

 

形ばかりの栄養素をいくら摂っても、

そこに含まれるその他の情報が全くのダメなのです。

 

人間の抗体と呼ばれる自己防衛機能も、大人になるまでの

様々な情報を元に常に学習し、進化、変化し続けます。

 

その情報こそが毎日の食事であり、生活環境や習慣でもあるのです。

 

簡単なイメージをするならば、

防水機能のついた携帯電話は、水に濡れる環境を想定した材料で作られ、

防水機能の無い携帯電話は、水を想定しない材料で作られるわけです。

 

雨の日に使うことがある、手が滑って水没することがあるなどの

水に濡れると壊れるといった環境や経験があるからこそ

防水機能を装備しなければいけないと思うのであって、

そんな経験や想像も全くないような状況しかないのであれば

水に濡れるなどの発想も準備も全くしないはずです。

 

これと全く同じように、

体に害をなすような菌がいることを知り経験し想定するからこそ

学習してその菌に害されない準備をするのであって、

抗菌殺菌にやっきになって菌がいることも知らない身体を作ってしまえば

実際の世の中では到底過ごしていけない体になってしまうことは

想像に容易いと思います。

また、体に与えられた情報と実際の環境がかけ離れていても

学習する機会がない体には対抗する術も当然ないわけです。

 

過去の記事で「唾をつけておけば治る」にもあったように

昔から言われていることというのはすべて経験則といった

イメージがあり、科学的な根拠がないように思えますが

科学の進歩とともに実証されることがどんどんと増えます。

 

菌があるところだからこそ体に抗体ができて強くなる

ということを言うと「昭和の考え方」としてばかにする人もいます。

 

しかし、現在解明されている人体のメカニズムを省みても

人間の防衛本能などの学習機能を見てみれば

わかっている部分だけでも上記の説明があてはまります。

 

人は日常と違う場所に出かける時には、様々な準備をするはずです。

 

それは行く先々の状況を想像し、行ったことがあれば経験から、

様々な外敵などから身を守る準備をしたり、

より快適にスムーズに過ごすための工夫を行うはずです。

 

体の機能は人間の考えるよりもずっと賢くできています。

なんといっても未だ人体のメカニズムは科学では半分もわかっておらず、

その殆どは人間の知識を超えて未知の領域にあるのです。

 

にもかかわらず

科学でわからない=否定

という図式がなぜ成り立つのか私は不思議でたまりません。

 

繰り返しますが、

人体の学習機能はリアルに環境を学習し体を守る為、

そして次に訪れる外敵に備える為常に進化変化します。

 

細かくは割愛しますがそうやって進化する過程で

異常な状態になってしまうのが免疫不全であったり免疫疾患と

呼ばれる状況です。

 

成長の過程で正しく学習できないだけでなく

外敵の認識や攻撃方法までもが誤ったものになったり、

根本的な機能そのものが正しく作られなかった場合

高確率で疾患に繋がるのです。

 

アレルギーについても多くはそういった状態が原因で、

本来の自己防衛機能が攻撃しなくてもいいものを攻撃したり

攻撃しなければいけないものを攻撃しなかったり、

攻撃はするものの過剰な暴走などにより人体に影響が出るものなど

いわゆる免疫機能不全の状態であるといえるのです。

 

人は日常生活においては、情報と経験の大切さを知っています。

しかし、それらを自分の体を作っている細胞たちに学ばせるという

発想は残念ながらありません。

 

いくら知識として知っていても、

それはあくまでも脳内のデータとして自分が認識しているだけで、

体自体、細胞自体にとってはテレビを見ているような状態なのです。

 

自分の手で作ったことのない料理を想像してください。

何度もテレビで作り方を見ようとも

クックパッドを何回見ようとも

料理本を繰り返し読んだとしても、

実際に料理をしたことがなければうまくいきません。

 

普段から料理をしているからこそ応用ができるのであって

一度も包丁すら握ったことがなければ、

何度テレビで見ようとも、見よう見まねで

いきなりうまく切ることはできません。

 

これが知識と実経験の超えられない差なのです。

 

「経験に勝るものなし」

「百聞は一見にしかず」

「学問なき経験は経験なき学問に勝る」

 

 

これらの言葉の通り、

人間の体も自らが経験した病気や怪我に対してこそ

次の対処方法として体内に免疫を作る事ができ

次の罹患などに強くなる事ができるのです。

 

そういった学習能力が体にきちんと備わっているので

その能力をちゃんと機能させる環境と生活が必要なのです。

 

 このメカニズムをきちんと理解しましょう。

 

杉本