※内容はあくまでも個人主観によるものです。
さて、前回の記事にて予告した通り、今回は科学への解釈について触れて見たいと思います。科学への解釈といっても全体的な話ではなく、ここでは医療や医学についてを主体として、関わる部分でお話しします。
医療を支える発想や、栄養などの働きについては科学的な根拠がベースにあるわけですが、この科学的根拠についての部分では非常に様々な矛盾があり、なんでもかんでも科学科学といった認識を持つ人が多いのも確かなのですが、科学を崇拝する方に限ってそのメカニズムをきちんと理解していないケースがたくさんあります。
まず、一般的な情報、テレビなどのメディアを通じて入手できる情報にはさまざまなものがあり、ひとつの事柄を取ってみても時として逆の説明をしているケースが多々あります。
こういった事を言うと「その根拠は?」「例としてどんなケース?」と聞かれることもありますが、あえてその部分は出さない代わりに、いろんな情報については各自できちんと情報収集してみて頂きたいのです。
また、いろんな宣伝をみて矛盾点を見つけてほしいのです。
意外とどこか曖昧にしたり、そんなものかと納得してしまっていることが多いことにも気付けると思います。
科学は日々進歩しているものです。
病気についてでは、過去、死亡原因の1位は成人病ではなく感染症でした。
現代では死亡原因の1位はガンになっていますが、一般的な理由としては「平均寿命が伸びた為、発症率が上がっている」ということらしいです。
ここで考えて頂きたいのは、ガンという病気に対してのメカニズムについての理解度がどれほどのものなのかということです。
医学的にみて、ガンの発症ということが本当にしに直結するものなのかということ。
ガンという病気に関しても、現代医学では未解明な部分が多いのが現実です。
ガンという病気をいまだよくわかっていないわけです。
この部分については又改めて記事にしたいと思いますが、このように科学的、医学的には解明されていないことが本当に多いわけです。
ところが、特に医学、科学に関しては未解明な部分は否定、解明されている部分についてはそこがゴールになってしまっています。
今までの記事でも書いてきましたが、たくさんの成分が合わさってひとつの効果に至っている場合でも、その中での特定の働きをしている成分が解明された場合には、その成分ひとつの働きとして理解して用いるのが医学、科学で、相乗的にもたらしている未解明な部分については触れないようにします。
その後の研究で別の成分が解明されて、わかっている部分との関係性もわかれば、初めてそこで加えられて考えるようになるだけで、解明できていなければ無いものとして扱うわけなのです。
漢方のように、原物質を形成しているその容のままでの効果についても、そこに含まれた成分や働きを解明できなければ、どれほどの実証があってもそれはあくまでも民間療法やオカルトに分類してしまうわけです。
逆に考えれば、科学的に解明されている成分が、単一で用いた場合に原物質的な効果に至らなくても、 解明されていない以上その成分の効果はそこにとどまるのです。
これが科学的な発想です。
わかりやすい例として、アメリカでのサプリメントは科学の進歩と共に形態が変化しますが、基本的にわかっている部分だけを組み合わせて作られるので、ひと昔前のサプリメントは単一成分(ビタミンCなど)だけを凝縮したものが主流でしたが、他の成分の助力的な働きなどがわかってくるにつれて複合型のサプリメントに移行してきました。
ちなみに日本で販売されていたサプリメントは、アメリカよりも10年以上送れたものばかりが販売されているようです。
現在のアメリカでは、単一型のサプリメントはむしろ身体に害があるとして認識されています。
極端な言い方ですが、見える部分しか認めないのが科学的な発想だといえます。
私は科学にも可能性があると思っていますので、過去わからなかったことがどんどんと研究により解明されていくことにより、ガンも必ず風邪のような扱いになると信じています。
研究者たちも当然、いずれはそのようになるために研究されていると思います。
少し戻りますが、
科学的に認めてゆくということは、確実に解明されていなければいけません。
ガンにたとえるなら、癌細胞の働きや種類なども完璧に解明でき、どのように成長して、どのように転移して、転移するのかしないのか、何によって縮小して、何によって増殖するのか、どうすれば癌細胞をコントロールできるのかまでを、完璧にわからなければいけないはずです。
現在の医学的なガンへの認識は、ほとんどが「おそらく」のレベルであって、完治の方法もわからなければ予防の方法すらもわかっていません。
当然ながら治療法に関しても同様で、手術などの外科的治療というのは基本的に病巣部分を除去するだけのものですので、それが治癒につながるかということとは全くの別物になります。
化学療法に関しても、あくまでも癌細胞単体に対してどのような可能性があるかというレベルであって、確実に効果が証明されているものでもありません。
むしろ、癌細胞の病巣周辺の環境についてはほとんど考慮されていませんので、患者さんの体組織や人体形成に重篤なダメージを与えたり、苦痛を強いる副作用は、致し方ないものとしてほぼ強制されているのが現状です。
これは間違いなく科学的な発想で、癌細胞は人体の中で生きているわけですから、体に対しての影響や、場合によっては宿主としての関係性だってあるわけですから、そのあたりの因果関係を考慮して治療に臨まなければいけません。
しかし、癌細胞だけを取り出して化学物質で死滅させれれば効果があるものとして使用し、実際には人体に対して猛毒とも言える抗癌剤をガンガン使う為、
たとえるなら森の中にいる害虫駆除を行う為に殺虫剤をまいたら森が全て枯れてしまったといった状況になるのです。
これを医学的に言い換えれば「患者に治療に耐えれる体も体力もなかった」です。
森の健康な木々が殺虫剤に耐えられなかったから仕方がない。。。というわけです。
今年に入ってようやく、未だ水面下ではありますが薬害に関する話し合いが前向きに行われているようです。薬害をうけた被害者に対する保障制度を正式に制定しようといった話し合いです。何もなかった時代に比べれば進歩ですが、やはり様々な障害が原因でなかなか進まないようです。
医学的には理解の偏向状況が顕著に見受けられますが、我々の日常でも本当にたくさんこのようなケースがあります。
科学的な根拠というのは、ゼロから物事を作り出せるようになってこその完璧な根拠であって、そんな所には到底届いていない現状で、科学的な根拠を全ての判断材料として用いることは非常に危険なことです。
我々には先人の知恵や経験があるわけです。軽はずみに否定するのではなく、しっかりと見極める目を養うこと、判断する努力を自分ですることが大切です。
人々の経験と研究は協力する為にあるのです。
ここをしっかりと自身が身に付けなければいけません。
難しい問題です。
杉本