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杉の坊のつぶやき

実は知らない健康や医療に関する情報を発信

念を押したい、実は…

※内容はあくまでも個人の主観です。

 
 
ここ数回、様々な闇の部分に焦点を合わせています。
 
そこで改めて、今までにも触れてきましたが
念を押しておきたい実は…をもう一度説明してみます。
 
まず、一般的に言われている成人病における遺伝についてですが、
病気の遺伝については過去何度か論文や研究結果によって報告されています。
ちなみにその内容は「病気は遺伝しない」というもの。
実は人間の遺伝子には病気の情報は引き継がれないといった研究結果が出ています。
 
はじめに大前提として、遺伝子情報上での病気の遺伝については
医学的科学的にも正確な情報として「遺伝する」とも全く解明されていません。
 
しかし多くの方が「ガン家系」とか心臓病や糖尿病といった成人病のリスクの理由に
遺伝をあげます。
しかし、私個人の見解としてもそういった病気の情報が遺伝されるといった考え方には疑問を感じています。
確かに、連日のような情報では遺伝リスクを喧伝しています。
しかし、人間の構造上においても、遺伝子にそういった情報が受け継がれるのは
不自然だと私は考えています。
理由としては、妊娠においても胎児に病気のリスクを可能な限り防ぐための働きが
人間には備わっているにもかかわらず、なぜ遺伝子上では防げないのかという点。
さらに、細胞の形成上においても、生物学上、より優秀な遺伝子を残す本能があるのに
なぜ病気の情報を引き継ぐと考えるのか。
また、遺伝子レベルでの細胞情報が遺伝するならば、親の体に出来た再生情報にまで達している、痕の残るような大きな怪我などの情報も引き継がれるはずでは…?
この数点だけでも十分に否定の可能性を考えることができると思うのです。
 
そこに加えて、基本的な遺伝を理由とするような病気の原因の多くは生活習慣にあり、
人間が成長する過程においての環境が大きく関係していることで、先述した病気のほとんどが後天性のものだと考えるのです。先天性の心臓病や糖尿病の場合は、心臓や膵臓に生まれながらにして異常(疾患など)があるためで、
表現は悪いですがこれは一種の先天性障碍だと思います。
生まれつき内臓に疾患がある場合、そこを原因として機能が至らず、
結果として病気につながることは言うまでもありません。
 
しかし、生まれたときには正常であったはずの体が年齢と共に病気を発症しているならば、人体の形成における毎日の生活習慣等に原因がある、と考えるのが最も自然なはずなのです。
そこに遺伝を理由にした罹患リスクを引き合いに出しても、逆に言えば、あらかじめわかっているそういったリスクはいくらでも回避できた可能性だって指摘できるのです。
厳しい言い方になりますが、身内にそういった病気の発症の傾向があるとリスクとして捉えているからといって、人一倍生活面での回避作業が出来ているか…
と見つめてみれば、できている家庭には殆ど出会ったことがありません。
 
とはいえ、実際にはそういった取り組みをされているため発症せずに済んでいることで、結果として私と出会う機会がない方がいるのだとは思っています。
 
しかし、病気を原因として私と出会い、遺伝リスクを口にした方に、
ではそのリスクに対して今までどんなことに気をつけてきましたか?
と問えば、申し訳ないのですがやっていてもほとんどが気休め程度です。
健康体から自然発症してもなんらおかしくない生活を送っています。
 
となれば、遺伝リスク以前の問題で、現在の生活習慣や食生活を見直さなければいけません。ここに到達すると、もはや遺伝リスクではなく単純な原因での通常発症と考えることが1番自然であるという結論に達するわけです。
こういったことも遺伝リスクを否定する材料の一つになります。
 
もしもここまでの部分を否定した場合、
極端には遺伝リスクを抱えた人の発症率は限りなく100パーセントとなり、
少々の予防行為では太刀打ちできないと公言することにもつながります。
 
従って、ここまでを精査すれば自然と矛盾にもたどり着きますので、
詳細な点としては論文クラスの内容となりますので省略しますが、
研究結果同様、私の中でも遺伝リスクは存在しないと考えるに至るのです。
 
しかしながら過去の遺伝リスク否定の研究結果については、
多くの大学や研究機関でも発表され、度々新聞などでも報道されたりしましたが、
一瞬で情報自体が出まわらなくなります。
理由はここ数回の記事内で説明していることにリンクしますが
予防医学分野および遺伝リスク部分での市場が衰退してしまうからです。
家系内での遺伝リスクに付随する予備軍への意識低下は都合が悪いのです。
 
ではなぜ一般的にも認知度が高い状態で遺伝がささやかれ、
実際にもおなじ家系内に同じ症状などを発症する人が増えるのかの点ですが、
これについても簡単に説明がつきます。
 
なぜかというと、家系による食事や生活や習慣そのものに問題があるため
同じ家系内での同じ病気の発生率が高くなりがちだからです。
同じ家系内では、同じような食生活と生活習慣がおくられやすく、
その内容に発症原因があれば当然のことながら同じ病気を発症しやすくなります。
基本的に生活習慣病などのほとんどは食事と生活に原因がありますので
同じような食生活の同一家庭内でそのリスクが高まるのは当然です。
食事においての趣味趣向や感覚的な部分でも幼少期の形成時点で自分の家系の食生活を送る事で本人の傾向がそのようになるので、結局のところ大人になってからもそのまま無意識にそちらに偏った生活を送ります。
好きな食べ物や嫌いな食べ物、食べ方、細かな生活に対する感覚などなど。
そこに加えて生活そのものの基本習慣についても育ってきた環境に習うので病気の発症率の高い生活を自然に送っていることにつながります。
 
母親から子供へ、そしてまたその子供へと、無意識に病気の発症率の高い生活が代々と引き継がれることで、その家系には同じ病気になる率が高くなるのです。
それを「遺伝」といった発想で結論付け罹患しやすいと勘違いしてしまい、これも厳しいですが病気の《言い訳》にして改善の余地を減らしてしまうのです。
 
病気が遺伝すると考えた場合にはどうしても辻褄が合わないことがでてきます。
まず、家系内での発症率と、発症しない場合のリスクバランスの説明が合いません。
次に、外因的にそのための予防医学的な分野が全く発達していない点も指摘できます。
単純に予備軍の指摘の材料にはなっても、生まれる前から分かっているリスクに対する
指導面などが医療の世界で全くといっていいほど唱えられていないのです。
 
おそらくですが、医療業界では遺伝リスクに関してはほとんど考えられていないのではないかとも思えるほどに対症的な考え方しかしておらず、発症後の診察において医師が身内の発症率を訪ねたりする場合も、生活習慣がそういった温床であるという上記の内容を医師は理解しているからこそ、参考として問診するのだと私は判断しています。
 
遺伝は遺伝でも、遺伝子情報上の回避できない問題ではなく
受け継がれる生活習慣や食事の嗜好は確かに「遺伝」しているとは思います。
 
 
では次は、「ガン」についてです。
ガンには良性と悪性があることはご存知かと思いますが、
実は診断結果の良性と悪性には、その後の治療にはあまりちがいがありません。
さらに、告知に関しても同様に、良性悪性についてはあまり変化がなく、
治療内容についても悪性を前提にした治療がとられます。
 
少し嫌な話になりますが、末期ガンでの余命宣告も、余命半年とか余命3ヶ月とかいった告知がありますが基本的には医師の見立ての半分の期間を宣告します。
 
余命半年と宣告されれば約1年、余命3ヶ月なら約半年が医師の見立てた本当の余命という事です。
なぜ半分の宣告をするのかの理由ですが、本来の見立て通りの宣告してしまうと、余命よりも短く亡くなってしまった場合に治療に対する疑問や医師への不信感の元になります。半分で宣告する事で、半分以上の場合には治療に効果があったと説明できるため
患者にも満足と感謝を持ってもらう事ができます。
見立ての半分というのはほぼ確実に生きながらえる事のできる期間なのです。
 
ただし、この余命には条件があり、医師の指示通り治療を受け、完璧に指示通りに行動した場合に限定されます。
食事や生活習慣を含めたすべての行動を医師の指示通りにしてはじめてその余命宣告を含めた医師の発言通りになります。
 
家族が献身的にちょっとでも良いと思って食事に手を出そうとしたり、
少しでも気休めになるようにと健康食品でも使おうとすれば、医師はとことん嫌います。一旦余命宣告してしまえば、言い方が悪くて大変申し訳ないのですが、よほど予想外の出来事がない限り医師の予想通りになって欲しいのです。医師の予想外というのは、ほぼ誤診を認める事に相当します。
医師として患者に伝える見立てを外す事はしたくないわけで、その可能性を限界まで減らしたいのです。
 
とにかく一旦余命3ヶ月を宣告したら、3ヶ月間医師の言いなりになって、余計な事は一切せずにおとなしくしていて欲しいので、3ヶ月間の間に医師の指示以外のものを口にしたりするのもやめて欲しいわけです。
良い方にも悪い方にも体調が変化する事は困るのです。
なので、改善の可能性を模索する事も努力する事も禁じられます。
理由は治療に支障が出るという理由で禁じられます。
 
治療に支障が出るというのがよくわからないのですが、
はっきりいって、余命宣告をした以降の治療に関して改善の可能性があるのかというと、正直、医師の指示内容には改善の見込みはほぼ100%ありません。
なぜなら医師は余命を宣告しているからです。横ばいにすらなりません。
一般的に、余命宣告はこのまま精一杯の治療を続けてもここが限界ですという意味に捉えられがちですがそうではなく、医師のいうとおりに行動すればその期間の余命ですよと宣告されているという意味です。
余計な事をすれば伸びるか縮むかわからなくなるという意味でもありますし、その期間において医術の限りを尽くしてくれるわけではありません。
ガン治療の観点から考えても、精一杯の治療を続けての限界なら、明らかに悪化を招くような異常な事は別として本来何をしても関係ないはずなのです。
ここに矛盾を感じるのです。
 
例えば、普段から医師は健康食品などについても「気休め」として効果を認めていません。にもかかわらず治療中の摂取を制限するのは万が一の影響を懸念しているのですが、万が一の影響があると考えるのは普段の否定内容から考えると非常に不自然で、医学的な見地からみても癌治療などに影響が出るような可能性も考えられません。
ですから、否定したり禁止したりするという事自体に矛盾が生じるのです。
 
患者を始め家族は、万が一だろうが億が一だろうが回復の可能性を望んでいます。
余命宣告されても最後の1日まで諦めずに可能性を模索し続けます。
そうやって最後の最後まで手を尽くすのは患者の意識ではあるのですが、
肝心の治療に携わる現場や医師の考えはそうではないのです。
 
余命宣告にかかわらず基本的に抗がん剤治療での回復の見込みはほとんどありません。
また、ガンの治療に関して入院治療では保険制度の関係で病院側の収入が激減するため
現在は瀕死でもない限りほとんどが通院治療になります。
そのせいで症状を軽微に捉えてしまう患者もいるので、色々な面で病院にとっても
都合の良い事がたくさん出てきます。
 
ガンに関してはあまりに闇と奥が深いので、説明しようにもどうしても中途半端になりますが、皆さんには一般的に出回っている情報を今一度確認していただきたいところで、特に、死亡原因ランキングや、発症率、死亡リスクなどの情報は出回る反面どの抗がん剤でどのような結果が出たとか、通院での回復率、入院での率、年間のガン発症例から治療で完治及び回復例をどれほどご存知でしょうか。
 
末期癌から美談としての闘病記は有名になっても、ハッピーエンドな治療結果はほとんどありません。それほどまでに効果の低いガン治療の現状なのだという事でもあるのです。また、外科治療で切除や摘出後の転移や再発が、一連のデータではなく、別々のものとして計上されている事はご存知でしょうか。
 
少しだけ擁護すると、抗がん剤をはじめとした治療自体が眉唾なのではなくて
現代の医療の限界がそこにあるだけです。
早期発見早期治療とは言え、その結果も内容も伴っていないのが実情で、
発見からはただただ辛い闘病生活が待っているばかりか、
発見したばかりに受けなくてもいい治療を受けてしまうケースもあります。
 
早期発見と言われる状態から何割が早期治療によって発症を防げているのか、
同じく発見から完治に至ったケースは?進行や転移の率は?
逆に早期発見から重篤なステージに進行したケースなど、
ほとんど一般の方にはわからない状態になっています。
 
医師のいうとおりにしているのにごくごく稀に余命の宣告から劇的な回復をする方もいますが、これは抗がん治療が効果を発揮したわけではなく、はっきり言って医師の誤診にしかすぎない上、治療を必要としない良性腫瘍で、見立てと診断そのものが根本的に間違っている場合のみです。
 
良性腫瘍は切らなくても良いものが多く抗がん剤もほとんど意味がありません。
外科治療後、転移しないもの再発しないもののほとんどが良性腫瘍です。
悪性の重篤なガンが発生した場合には、切ろうが治療しようが必ずと言っていいほど再発、転移します。
 
悪性のそれらを本当に予防したり改善したりしようとするならば、
体を形成している生活の成り立ちを見直さなければいけませんし
癌細胞が悪く活動する根本的な原因に焦点を当てなければどうにもなりません。
発症した症状に対しての対症療法ではいたちごっこでしかない訳です。
 
ちなみに抗がん剤治療での有効率は最大でも40%以下で、
繰り返しになりますが抗がん剤でガンは治りません。
 
また、ガンが方法次第では病院の治療よりも高確率で治る病気であることは病院の医師は実は知っています。ただ、その方法がいわゆる非科学的であったり、場合によっては病院の治療そのものを否定しなければいけないから、わかっていて認めようとはしません。
 
ガイドラインに反したり、むやみに責任追及される可能性のある方法より
国のお墨付きをもらっている方法が医師にとっても安全なのです。
 
抗癌剤での治療は辛い」が当たり前に認識されています。
耐えることを戦うこと、我慢することを立派な努力のように謳われていますが
いったい何と戦っているのでしょう?
頑張って治療に取り組む姿勢は間違いなく患者の努力に他ならないのですが、
辛い副作用を耐え、我慢する裏側にはとんでもない事情が渦巻いています。
良識ある医療従事者はその点に矛盾を感じながらも患者と共に戦うのです。
 
このように、現場と施行側には大変な温度差があるどころか
発想そのものが全くの別物として存在しているのです。
 
 
 
杉本