杉の坊のつぶやき

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副作用(副反応)とは

※内容はあくまでも個人の主観です。

 

薬には必ず副作用(副反応)があります。

漢方薬にもあります。

市販薬にもとうぜんながら副作用はあります。

薬剤師の処方が必要な薬には高確率の副作用があります。

病院などで処方される薬のほとんどが、別紙で注意喚起されるほどの副作用を持っていますが、この副作用に関する医療現場での認識は、一般の使用者とは少し違うかもしれません。

 

副作用に関する認識は、一般的には悪い事なのですが、

薬によってはその副作用を利用した効果を基に作られたり処方されるものもあります。

例えば、顕著に現れる副作用に「眠気」がある場合、その副作用を利用して眠剤として処方する場合もあります。

こうなると副作用ではなく主作用ですが、実際にはこのように副作用として持った効果を主作用目的として使うことを考えると、副作用の割合などが非常に顕著であることを物語っているともいえます。

 

副作用が現れる原因については諸説ありますが、個人的な見解としては化学物質(薬)のもつ様々な作用と症状を、効果の顕著な順に主作用、副作用としてわけていることが一般的な理解を困難にしていると思います。

薬の原料である、材料から取り出した成分や、合成により作り出される薬の成分というのは、単一になることでその成分の働きが顕著になる一方で、単一になることにより発生する効果があるのです。

その単一になることで現れる効果の多くが副作用として認識されますが、単一成分が様々な成分と合わさることでバランスの良い状態になるのですが、こうなると他の成分との因果関係や細かい働きなども科学的な解明ができていなければいけません。

また、体に入ったことによっておこる化学反応も解明が必要になりますが、実際にはどちらも解明できていない部分が多いので結果的に明らかにわかっている部分だけを取り上げて説明しているのです。

 

わかりやすい例として天然の植物などから作り出す抗癌剤などでは、天然植物が持つ抗癌作用がわかっている成分だけを取り出し、科学培養して抗癌剤とするのですが、この際に単一の成分を取り出すことにより、もともと持っていたバランスが崩れてしまいます。崩れるというよりも、天然の環境下でその成分をフォローしていた他の成分がなくなるわけです。そのため、単一の成分がもともと持っていた抗癌性は失われないにしても、他の成分によって抑えられていたといえる、結果的に害になる効果が単純に顔を出すことになります。

この害になる部分というのは、あくまでも単一の成分になることで現れるもので、他の成分と一緒に含まれている状態では、例外もありますがほぼ現れないものだと考えることが出来ます。

ここからは科学的に未だわからない部分ですが、他の成分との反応や、他の成分と合わさった際には別の効果になる可能性もあり、そもそも害になる成分を基として他の成分の働きが潤滑になる可能性もあります。また、体内に入った際にそのバランスがどのような反応につながるのか、同じく害になる働きを他の成分がサポートすることでどのように変化するのかといった部分が未だわからない所になっています。

 

もう一度掘り下げてみると、

Aという成分に特定の効果や働きがあることを科学的に解明しても、複数の成分と合わさることや、元物質の環境下では、その働きや効能が違う場合があるわけです。

さらに、その効果が研究上では確認できても、体内に入ってからのわずかな環境の変化や、さらには同時に摂取する栄養素などによっても変化し、未解明な要素の影響に関しては全くの未知数である。。。ということなのです。

ですから、良くも悪くも単一の成分に限定した効果を解明していれば、主作用、副作用についても把握している単体での使用に限定されてしまうのが現代科学での解釈になるということです。

 

ただ、いくらこの前提を基にしていても、科学で解明できた部分というものが全てではないので、予測の出来ない症状や反応が現れる場合もあります。

これは摂取する人体の環境の相違によるもので、この部分についてもなぜそうなるのかという点についてはほとんどが未解明です。

 

市販薬といわれる、一般的にはドラッグストアや薬局で容易に手に入る薬については、その成分量と内容が、予測できる範囲で重篤な症状につながらない内容になっています。

用法用量や注意書きについても、あくまでも守って頂ければ何もない可能性が非常に高いといった内容になっていて、よくある、使い方を間違った場合に対する保険のような役割をしています。

ちなみに、そういった薬の摂取により予想外の反応が現れた場合の多くは、使用者の意思とは裏腹に、用法用量と注意書きを守っていれば絶対に現れないものとしてその責任は使用者に限定されてしまいます。このための注意書きなのです。

これが本来の研究目的から大きく外れた、科学が物事を考えるにあたって何事をも限定してしまう弊害でもあります。

 

ただし、薬には薬のすばらしい働きもありますので、医師や病院と同様に、上手に使いこなさなければいけないのです。

時には科学の力で命を救われる場合だってたくさんあります。

どちらをも否定することなく、力を合わせていけるように発想していきたいものです。

 

 

  

 

さて、話は変わりますが

いま中国では日本に旅行したら買うべきであるという薬が注目されています。

日本で販売されている薬の多くは、中国で『神薬』として扱われています。

以下の表はニュースサイトより引用したもので、「買わなければいけない12の神薬」

として紹介されています。

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このほかにも多くの薬を中国からの観光客がドラッグストアなどでたくさん購入して行くことは非常に有名です。

ここ数年では紙おむつなどの日本製品が転売できるとして買占め騒動にまで発展しました。

 

中国だけでなく、諸外国での日本製品のクオリティ評判は非常に高く、海外では手に入らないものをこぞって買って帰る現象が続いています。

 

それほどまでに日本製品の信頼性は高いものなので、せっかくのクオリティを今後もより発展させていけるように、日本自体がもっと柔軟性のある発想を続けてほしいものです。

 

薬だけにとどまらず、様々な分野で懸念されている日本の製造技術。

法整備などによって安全性は高まる一方で、融通の利かない凝り固まった発想が増えてしまい、せっかくの良いものすらも無くしかねない状況に進んでいってしまっています。無くなってしまってからでは取り戻せないものもたくさんなくしてしまいました。

 

人々の心の中にも同じような状況が生まれつつあるのではないでしょうか。。。

 

自分たちの体や生活は自分自身が判断していくものです。

とても難しいことですが、しっかりと見つめ、情報を鵜呑みにせず、自分で判断することの重要性を考えてみてください。

 

 

杉本